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葛根湯 1
「そんな生脚出してると、風邪引くって言ったろ」
浩二さんは、あたしの額に優しく手をあてると、出来の悪い生徒を諭すように言った。人通りはまばらだとはいえ、人目のあるところであたしのことをこんなに馴れ馴れしく触ることはなかったのに、浩二さんといえども、男はやっぱり現金なもんだなあと思う。
「大丈夫だよ、葛根湯飲んどけばすぐ治るって」
浩二さんは、中学校の体育の教師だ。いまどき化石みたいな熱血教師、というのか、林間学校のキャンプファイヤーでアコースティックギターとか弾きながら熱く歌っちゃうタイプ。お姉ちゃんは呆れているけど、あたしはそういうの悪くないなあと思う。
郊外の隠れ家風のイタリアンレストランで、お姉ちゃんに浩二さんを紹介されたのは、去年の春休みのことだった。お姉ちゃんも中学校の教師なので、生徒や父兄に会わないように、デートの場所にはかなり気を遣っているようだった。
「お父さんとお母さんに会わせる前に環奈に会ってもらいたいの、予行練習っていうか」
お姉ちゃんが妙に照れながらそういうので、あたしも緊張した。ふんわりとしたシフォンのキャミワンピの胸元のリボンがエアコンの風にふわふわと揺れるので、なんだか落ち着かなかった。
「環奈、滝川浩二さん。同僚なの。浩二さん、妹の環奈。来年大学の……」
「三年だよ、お姉ちゃん」
「そうだったっけ、早いわね。もう三年生だなんて」
そう言ってため息をつくと、お姉ちゃんはワインのメニューに目を落とした。
「ねえ、浩二さん、あたし、逆上がりができなかったんだけど、どうしたらできるようになるのかしら?」
お姉ちゃんがワインを選んでいる間の沈黙が嫌で、あたしはどうでもいいようなことを浩二さんにきく。小さい頃から、体育が苦手だった。そして妙にさわやかで前向きな浩二さんみたいな体育会系の人も。でも、こうやって浩二さんと向かい合って座っていると、苦手なんじゃなくて、そういう人に相手にされないから、逆ギレしてただけなんじゃないかと思えてくる。
「なるほど、姉妹そろって運動オンチか」
「もお、浩二ってば。たしかに私も妹も運動は苦手だけど、初対面の環奈にまでそんなこと言わなくてもいいでしょ」
あたしがこんな歳になってまで、お姉ちゃんは小さい頃と同じようにあたしのことをかばう。
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