第3話 見覚えがある

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第3話 見覚えがある

 通夜で見たトモちゃんの顔は、記憶と全く変わらなかった。それは結婚式で出会った顔じゃなくて、三人だけで遊んでいた頃の顔。  人は死ぬ時、子供に戻るのかもしれない。  遺影には、殆ど見知らぬ男が笑っていた。それは、俺たちがほとんど知らない顔だった。きっと奥さんが撮ったもの、奥さんに向けられた顔だろう。  幸せそうな顔をしている。  姉ちゃん、アンタのこと、すっかり忘れちまったんだよ。  一年前、電話先でトモちゃんにそう言い放ったことを思い出す。  結婚式が終わってから、姉ちゃんの体調は徐々に悪化して行った。睡眠時間が長くなって、ご飯を食べる回数が減った。  このままだと院休むか辞めるかしないといけないな。――この時俺は初めて、姉ちゃんの泣き言を聞いた。  事態は俺が思うより深刻かもしれない。かと言って、医者は「ストレス」としか言わないし、俺が出来ることなんてそうはなくて。  それから暫くして、俺がトモちゃんの話をすると、 『誰だっけ?』  と、返した。  その時は俺が、『何悪い冗談言ってんだよ』って言ったら、『ああ』って言って、またなんてこと無く部屋に戻った。  気づいたら、俺が思い出せること全部話しても、姉ちゃんは全然思い出さなくなった。三人で一緒に遊んだ時も、三人でご飯を食べた時も、三人で勉強した時も、姉ちゃんの記憶は『二人』になっていた。  医者は『解離性健忘』だと言った。身体的なものではない、恐らく精神的なもの、強いストレスだと。  ――強い、ストレス。  思い出したのは、新婚夫婦に向かって笑って祝福する、姉ちゃんの顔だった。  強いストレスが本当にトモちゃんの結婚式だったのかはわからない。  けれど、トモちゃんを忘れたら、姉ちゃんは元気になった。朝起きれるようになって、普通に外に出て、ご飯を食べる回数も元に戻った。  なら、いい。トモちゃんを忘れて、元気になったんなら。寂しいけど、生活は変わる。人も変わる。  だってトモちゃんは結婚してて、姉ちゃんを省みる回数なんて減る。そのうちゼロになるだろう。  俺たちは、他人だ。  ……そう思ったらすっごく、腹立たしくなった。 『元気にしてる?』  呑気に聞いてくるトモちゃんに、ホントムカついた。なんで姉ちゃんに電話せずに、俺に聞くんだよ。いや、電話すんな。アンタを思い出したらまた元気じゃなくなる。  姉ちゃんは『怒』と『哀』が薄くて、バカみたいに明るい。でも、姉ちゃんの根っこは寂しがり屋だ。それはトモちゃんだって知ってたはずだ。  なのに勝手に離れて、遠くで幸せになって。姉ちゃんが傷つかないとでも思ったのかよ。その上、他人行儀のように「」。トモちゃんが姉ちゃんを呼ぶ時は「ハルちゃん」だろうが。  もう電話してくんな!  そうブチ切れて、一方的に電話を切った。  それが、最後。  その場の勢いで、LINEをブロックして、着信拒否にした。ガキみたいな癇癪で、全部ぶっ壊した。  ……いや、正真正銘のガキだった。  奥さんの説明から計算して、その電話は、トモちゃんが医者から余命宣告を受けた頃だ。  トモちゃんは、病気のことを俺たちに知らせようとしてくれていた。それは俺たちを、「他人じゃない枠」に入れてくれていたからだ。  あの時、俺が電話を切らなかったら、ブロックしたり着信拒否なんてしなかったら。  いやそもそも、俺が口出すことじゃなかったのに。あれだけ自分に言い聞かせて、結局爆発して言っちまうなんて。滅茶苦茶恥ずかしい。過去の自分をぶん殴りたい。  でもやっぱり、その笑顔を見ると、一発ぐらいは殴ってやりたいよ。 「夏樹(なつき)さん、ですよね」  トモちゃんの奥さんは芙由美さんと言って、栗色の髪は喪服のように黒くなっていた。笑顔を浮かべていたが、それは今にも崩れてしまいそうだ。  忙しいはずの彼女は、わざわざ俺を呼び止めた。 「これを、読んでいただきたいのです」  手渡されたのは、水色のノート。  何これ。トモちゃんの遺書か何か?  そう思って、ペラっと捲る。  どうやら、数ページしか書かれていないようだった。でも、端っこが上に向かうようにして曲がっている。  何度も、捲って読んだ?  俺は目を見開いた。  トモちゃんの字じゃない。トモちゃんの字は、こんなに筆圧が高くない。  行から飛び出すほどの、とびはねの癖。  これは、姉ちゃんの字だ。
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