幽刃のエーアハルト

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 きっと、彼が伸ばす腕よりも長いほどの、太い幹。  それよりも、恐らく僅かだけ刀身の長い長剣を、腰の鞘にしまうように充てがって。  目眩でも、起こしたかのように。  ハルトは僅か、身をかがめた。目に残っていたのは、そんな、コンマ数秒前の光景で。  実際には、横薙ぎに払われた剣は幹を横切るように滑り、それから、そよ風を受けてようやく。思い出したように、その木は倒れる。錯誤に迷うほど圧縮された時間の中に、私の意識は取り残されていた。  先程、ハルトの家の前で聞いた、不自然な木々のざわめき。倒木の葉が無理矢理に擦れる音。  それらを無視して、ハルトはまた近く、別の木の前に立った。そして。  横目で私を見る。  じっと。  なんか、不安になるくらい、じっと。いつの間にか緩んだ空気に、私は、「えっと?」みたいな間の抜けた声を返した。 「斬ってみせろと言っている」  いや言ってないですよね一言も何も言ってないですよね!?  本当、無愛想極まっているというか、正直あなたにリルクを任せるのが心配ですよ。いや、剣を構えるだけで語ろうとする不審者さん像がそこまで外れていなかったことは私的にありがたいのだけれど!  あと、この人にも隔てなく好感度高いリルク凄いよ。相性いいんだから遠慮なんて辞めちゃえばいいのに。  そんな雑念、余念に塗れながら、私もその木の前に立つ。リルクの技を邪魔しないよう、一呼吸を置いて、腰の柄へと手を伸ばす。  ふと。  今しがたのハルトの所作は、剣というより刀の。リルクの太刀筋と似ていた。そう思い至る。  悠然の悠は実は幽と書くのだと言わんばかりの自然体。いや、この世界で何をどう書くか未だによく分かっていないのだけれど。  難しいことなんて、何も分からないけれど。  リルクはきっと、ほんのちょっとだけ、肩の力を抜けばいい。  そして、視界の端でハルトが微かに頷いたように見えた。 「ほう……」  ごめんそれ笑いそうになるから止めてほしい。もう限られた語録での戦いは終わり、私たちは人付き合いと向き合う時なんだ。  とにかく。落ち着かない頭の中とは裏腹に、ただ自然に、剣を振るう。  間合いを間違えて空振った。  そう思いそうになるほど自然に、リルクの剣は木を振り抜いていた。 「そうだ」  やがて倒れる木の音に紛れそうな声。見れば、ハルトは倒れた木、の何故か少し先を眺めていて。  私の方には目もくれないまま、視線の先にあったらしい次の木へと歩いていく。  どう思えば、何を言えば良いのかも分からず、私はしばし、立ち尽くす。  こんな様子が、何か物言いたげにでも映ったのか、ハルトはまた横目で私を見る。そして。 「忙しいから帰れと言ったはずだ」  言ったけど脈絡! 脈絡さんをもっと労って! 思わず、剣を落としそうになる。  そんな私の替わりに、と言わんばかりに。ハルトは、自分の剣を右から左へと持ち替えた。  例えば、懐の短剣は、左手で取り出せるように忍ばせてある。背中の鞘も、左が上。そもそも何度も化けているから、分かる。この人は左利きだ。  なのに私がここに来た時から、右の手に剣を握っていた。既に斬っていた木も、少なくともいくつかは、その手で。  何を思って逆の手で、誰の真似をして。誰を思っての剣だったのだろう。  少なくとも、今はもう、その時が終わったことを否が応でも、肌で感じる。 「……ありがとうございましたっ!」  だから少しだけ、リルクが今みたいに頭を下げていた気持ちが分かる気がした。  たとえ返事なんてなくても。それは、それでいいと思うほどに。  とはいえ。  疲れるものは疲れる。普段の何倍も話したはずなのに、会話疲れじゃない気疲れが、重くて。  少なくとも私は、思ったことは伝わるように言葉にしようと心に誓った。例えば、今日のルシェロちょっと心配だよ、だなんてことも、改めてちゃんと。
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