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「じゃ、私準備しますね」
すり抜けるように安村の横を通り過ぎると、美咲はクローゼットから二人分の浴衣を取り出したのだった。
※
やっと一人になれた。
美咲は半露天風呂に浸かりながら、深い溜め息をついた。
早めにチェックインしたからだろうか。入浴していたのは、美咲の他に一組だけだった。
その親子から離れた場所に腰掛けると外の景色を眺める。
ここからも富士山を望むことができる。
雄大な景色なのに、美咲の心は晴れない。
安村は最大限美咲に気を使ってくれていた。
前の彼女と来たと聞いていたが、できる限り美咲に気付かせないように振る舞っていた。
美咲が注意深く見ていなければ気付かないくらいの些細な表情の変化。
それでも、どうしても目についてしまうのだ。
安村が遠い目をして美咲の向こうを見ていることを。
わかってはいるのだ。
安村にこのモヤモヤしている気持ちをぶつけたら、彼は真摯に受け止めてくれるだろう。
心の内で納めようとしているのは美咲自身の判断だと。
「だって、恋人じゃないから……」
口に出した瞬間、目頭が熱くなる。
好きだ、と言えば安村は受け止めてくれる。
それが美咲の望む答えじゃなかったとしても、昔告白した時と同じように目線を合わせて誠実に返事をくれる。
美咲が答えを聞きたくないだけなのだ。
「まいったな」と、言われたくない。
「情で抱いた」と、言われたくない。
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