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「…でも、たまに振り返るんだよな。」
そう言って、机の上に出しっぱなしのアルバムを見つめる。その彼の様子を見て、私は作業の手を止めた。
「振り返るって学校のこと?」
彼は私が受け持つ教室の生徒で、来月からは交換留学の制度を使って海外へ渡る。
連休のうちに大まかな荷物をまとめるという彼を手伝う為に、今日は部屋を訪ねていた。
「あ、いや、今のはなんでも…」
なんでもない、と言い切れずに口を閉じる。
普段はサバサバした性格で、バッサリ言い切るタイプの子なので、こんな反応も珍しい。
「いいのよ、少し休憩しても。こういう人生の転機みたいな時って、色々と振り返りたくなるものよね。」
学生寮で暮らす彼は、すでに親元を離れていることもあり、手伝いを呼ぶ宛もない。せめて荷物整理の監督兼、昼食を作るくらいはしてあげる大人が必要だろう。
「これって、いつのアルバム? 写真も持っていくの?」
大きなバックに詰め込まれた着替えや、学習机の上に積み上げられている勉強道具等の他、そのアルバムはゲーム機と共にまだ部屋の中央の机に放り出されたままだった。
今時、写真をきちんとプリントして糊で貼り付けるタイプのアルバムを作っているだけでも珍しい。
近頃はなんでもデータ保存で、撮ったところで、そう見返す機会も無いのだ。印刷した写真はカード入れみたいなファイルに入れて保存するのが主流になっている。
彼の視線に流されるように、その丁寧に作られたアルバムに手を伸ばす。
すると、
「あっ…、ダメ!」
焦った様子で突き出された彼の手が、私の手にぶつかった。
はずみでアルバムを床に落としてしまい、中から数枚の写真がバサッと散らばる。
「……っ!」
息を飲む彼の表情は、明らかに引きつっているように見えた。
散らばった写真はバスの中の様子を写しているもので、以前教室の生徒達と共に出掛けた課外授業の時に撮った写真のようだ。
植物園を見学した後、併設されている広場で休憩。お菓子を食べたり遊具で遊ぶ時間もあったので、遠足のような感じだった。
先生も一緒にと誘われて、楽しむ生徒達と共に写真を撮ったり撮られたりしたのを覚えている。
「このアルバム…。」
表情と共に思考も一瞬停止したのか、動かない彼よりも先に私がアルバムを拾い上げた。
中にも同様の写真が貼られているが、ところどころ抜けている。
貼り付けていない写真が挟まっていたことから、作りかけのアルバムかと思ったのだが。しかし、どうやら一通り写真を貼った後、その中の数枚を外したようだ。
外した写真は行き場なく閉じたアルバムに挟み込んであり、それが床にばら撒けてしまったらしい。
勿論、彼を困らせる気はないのだけれど、私は外された写真について聞かずにはいられなかった。
「ところどころ写真が抜けているけど…、これ、私の写真だけ外してるの?」
パラパラと数ページめくっただけでも一目瞭然。不自然にアルバムから外されているのは、私が彼や他の生徒と一緒に写っている写真だった。
集合写真も外されているのだ。
指摘されて彼は素直に、
「ご、こめん。先生…。」
と頭を下げる。
「ううん。べつに怒ってるわけじゃないのよ。」
彼が四人ほどの友人と一緒に撮った写真や、広場にあった何かの記念に作られた石像の前で変なポーズをとっている写真など、何気ない日常的な写真が続く。
そして後半は植物園の中で、撮影許可が出ている範囲で撮った、珍しい植物の写真が入っていた。
外された数枚も同じような楽しげな瞬間を切り取ったものだが、唯一違う点は、私も一緒に写っているということだけだ。
私だけが、彼の日常から消されている。
「ホントはそんな酷いことするつもりは無かったんだけど、留学を決めてから、なんか…。部屋の中にいてもすごく視線を感じるようになって…。」
楽しそうに生徒達に分けて貰ったお菓子を食べている、写真の中に写る私。
本来、お菓子を片手にカメラの方へ向けて笑いかけているはずの顔は、今は不自然な方向へ目を向けていた。
数枚ある外された写真。
数人いる写真の中の私。
彼女達は皆一様に、現実に目の前で悲痛な表情を浮かべている彼の方へ向いていた。
白目を剥くほど限界まで目を動かして、写真の外にいる彼を見ている私もいるのだ。
ただ、
ずっと
見て いた くて。
「なにこれ…?」
天井が回るような目眩。不快感。
外された写真を順に確認していく。最後の写真は彼が親友と撮った一枚のようで、仲良く肩を組む二人が手前に。私はたまたま映り込んでしまったようで、遠くに後ろ姿が入っているだけだが。
ぐるんっ。
と、勢いよく振り返った。
行かないでよー。と叫ぶように、大きく口を動かしている。輪郭に比較して大きすぎる口は、何か黒い穴のように見えた。
「写真の中の先生は、たまに振り返るんだ。それで、ずっと、見られてる感じがして。たまに、声が聴こえたりもするし…。」
写真の中にいる私は、確かに私で同一人物のはずだけれど、現実の私よりはずっと雄弁で、自身の想いに忠実であるらしい。
執着、している。
「怖いから外した。…ごめんね、先生。」
丁度その時、
ガヤガヤと部屋の外から数人の生徒達が近づいてくる声が聴こえた。バラバラと響く数人の足音。
男女混ざって三、四人の声と足音だ。
彼の荷造りを手伝いに来た生徒達だと気がつく。
「星貝くん、まだ荷造りしてるかなー。」
「式部先生も来てたりしてな。」
「それなー。あの先生、星貝にご執心だから。」
「本人迷惑してるって気付かないのかな? 真面目そうな顔してるけど、あの手の女って執着やばそう。」
「まぁ、星貝くんはもうすぐ海外に逃げれるから。それまで凌げば問題ないっしょ。」
そんな学生達の談笑が近付いて来る中、私はアルバムを手にしたまま立ち尽くしていた。
外された写真は手元から再び床に零れ落ち、その中にいる私達は、みっともないほど手を伸ばして、一人の生徒の腕を掴もうとしている。
当然、写真なので音声なんか出ないはずなのに、かなり騒がしく私が叫んでいる声が聴こえているような気がした。
こっち見ろー。逃さないからなー。そんな言葉が頭の奥に響いていた。
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