第18話 アネモネからの手紙

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第18話 アネモネからの手紙

 比呂は初めてその噂に触れた時、真っ先に母のことを思い出した。  幼い比呂の元へ、生前そのままの姿で現れた母、香月杏奈。夢ではない。幻でもない。あの時、確かに死んだ杏奈は比呂の元へ戻ってきたのだ。  比呂はその体験を祖父母に訴えたが、二人とも比呂が夢を見ていたのだろうと言って本気にはしなかった。比呂もいつしか、幼かったゆえに記憶が混濁したのだろうと思うようになっていた。  何故なら死んだ人間は生き返らない。それはどうあっても動かせない、厳然としたこの世の(ことわり)なのだから。  けれど、もし比呂の前に現れた杏奈が《電脳幽鬼(サイバーファントム)》だとしたら。そして今もネット空間上のどこかに存在しているのだとしたら。  どんな手を使っても母と再会したいと比呂は思った。電脳上にしか存在しない情報(データ)でもいい。実体なんて無くたって構わない。もう一度、もう一度だけ会いたい。  それから比呂は《電脳幽鬼(サイバーファントム)》について徹底的に調べた。いつどこで、どういった状況で起こる怪奇現象なのか。  だが、残念なことに詳細を掴むことはできなかった。ネットに溢れるオカルトや都市伝説(ネットロア)の中で《電脳幽鬼(サイバーファントム)》はさほどメジャーではないため、情報があまりにも少なすぎたのだ。  しかし、調査を続けていくうちに、あることに気づいた。  一つは、このB‐IT時代においても《電脳幽鬼(サイバーファントム)》のような不可解なオカルト話がネットには溢れていること。  もう一つは、そのネットオカルトには新世界市を舞台にしたものが多いこと。  そういった新世界市のオカルト話には大きな特徴がある。それはMEIS(メイス)が深く関わっていることだ。新世界市が最もMEIS環境が整っている街であることを考えると、それも不思議な話ではない。  おそらく単なるMEISの不具合が噂となり、それに背びれ尾びれがついてネットの海に広がっていき、結果として怪奇譚やネットロアと化したのだろう。  現実的に考えるならその可能性が一番高い。   頭ではそう理解していても、比呂は《電脳幽鬼(サイバーファントム)》の調査をやめることができなかった。それどころか怪奇譚やネットロアを調べれば調べるほど、実際に新世界市へ行って自分の目で確かめたいという気持ちが高まっていった。  比呂はずっと知りたかった。あの日、死んだはずの母がどうして戻ってきたのか。母はなってしまったのか。  ネオ研に入ったとして、必ずしもその謎が解けるとは限らない。彼らの活動は《電脳幽鬼(サイバーファントム)》とは何の関係もない可能性だってある。だが、諦めることなんてできなかった。 (たとえ《電脳幽鬼(サイバーファントム)》でも構わない。もう一度、母さんに会うことができるなら、僕は何だってしてみせる……!!)  父に裏切られ、社会に裏切られ、その果てにある日突然、命まで奪われた母。前日まであんなに元気だったのに……元気であるように見えたのに。  けれど本当は母は傷つき疲れ果て、ボロボロだったのかもしれない。幼い子どもだった比呂は、その事に気づけなかった。どうすることもできなかったのだ。 (僕はたぶん……母さんの死を受け入れられていないんだ。母さんの死を理不尽だと思うからこそ、取り戻したいと思ってる)  だからこそ、どんな小さな手掛かり(情報)でも欲しい。たとえどんな危険が待ち受けていたとしても、どんな犠牲を払わなければならないとしても。  唇を噛みしめる比呂の両肩に、白羽と黒羽がとまる。 「比呂、悩んでるのカ?」 「比呂、今ならまだ引き返せるゾ」 「……平気だよ。待ってるばかりじゃ何も手に入らない。自分で動き出さないと、真実なんて掴めないんだ。でも……心配してくれてありがとな、二人とも」  比呂は白羽と黒羽の背を交互に撫でた。  そう、行動を起こさなければ何も変えられはしない。もう待っているだけなんてうんざりだ。  もっとも勇気を奮い立たせて行動した結果、あんな巨大なカマキリの姿をした怪物(モンスター)に遭遇するなんて思いもしなかったけれど。 (あの黒い粒子やカマキリのこと、ネオ研の人たちは《アンノウン》と呼んでいたな。《アンノウン》……『未知』という意味か)  これから比呂の行く先にどんな『未知』が待ち受けているのだろう。それを考えると少しだけの緊張と大きな期待に胸が高鳴るのだった。  家に帰ってドローンが運んできた食事を済ませ、入浴したりネットで動画を見たりして過ごした。  それらを一通り終えると、比呂は手紙アプリを立ち上げた。  ペンも紙も《電脳物質(サイバーマテリアル)》で、それを使えば本物の手紙をそのまま電脳空間で再現できる。生体マウスでタイピングするメールやメッセージと変わらないのだが、手書き文字が演出できる点が気に入って愛用していた。  その方が自分の気持ちが相手に伝わる気がして、アネモネへの手紙を書く時には、必ずそのアプリを使っている。  椅子に座って机に向かい、その手紙アプリで現れた『紙』にペンツールで文字を書き込んでいく。 『親愛なるアネモネへ  昨日は僕に会いに来てくれてありがとう。久々に一緒に過ごせてとても楽しかった。  今日は叡凛高校の入学式がありました。学校の校舎も施設も新しくて豪華で、まるで異世界に迷い込んでしまったみたいです。でも校長先生のあいさつは普通に長くて、そこはちょっと安心しました。  何となくだけど、新しいクラスにも上手く馴染めそうな気がします。  部活動紹介もあって、僕はネットオカルト研究部に入部することに決めました。妹の詩織はこのB‐IT時代にオカルトなんてあり得ない、胡散臭いと言うけれど、独特のワクワク感があると僕は思います。  ネットオカルト研究部……ネオ研の先輩もとても親しみやすくて、いい人たちみたいです。  それから今日はさっそく大事件に巻き込まれました。すごく怖かったし痛かったけれど、少しだけ……ほんの少しだけワクワクしました。とても刺激的な体験だった。説明すると長くなってしまうので、詳しい話は次に会った時にするね。  この街のこと、しっかり勉強しようと思います。いつか君と一緒にいろいろなところへ行けるように。             比呂より』  比呂は手紙を書き終えると紙を折りたたみ、《電脳物質(サイバーマテリアル)》でできた封筒に入れて黒羽に渡した。 「黒羽、頼むよ」  すると黒羽は「よっシャ!」と封筒を咥えて窓の外へ向かうと、そのままどこへともなく飛んでいく。  手紙を運ぶ仕事は、いつも白羽と黒羽に代わりばんこに頼んでいる。一方に絞ってしまうと、残る一方が拗ねてしまうのだ。二人ともアネモネが大好きだから、手紙を運ぶ仕事も譲らない。  しばらくすると黒羽は比呂の元へ戻ってきた。(くちばし)には新しい手紙を咥えている。それに気づいた比呂は声を弾ませた。 「アネモネからの返事だ!」  喜びが声に出過ぎていると思ったが、現に嬉しいのだから仕方がない。  アネモネは気まぐれで返信をくれることもあれば、くれないこともある。そうかと思えば、ある日、何の前触れもなくやって来ることもある。ちょうど先日のように。  比呂は昔からなので慣れているけれど、今日は手紙の返事をくれたのだ。嬉しくないはずがない。  比呂は黒羽から手紙を受け取ると、急いで封を開けた。アネモネの返信も比呂のスタイルに合わせてか、いつも手書きだ。  『比呂へ』――便せんに書かれたアネモネの字が目に入ると、比呂は自分の表情がますます緩むのが分かる。 『いつも手紙をくれてありがとう。  君が充実した高校生活のスタートを切ることができたこと、僕もとても喜ばしく思うよ。僕は学校に通った経験はないけれど、それが君たちにとって特別な場所だという事は知っている。一度しかない高校生活が、君にとって素晴らしいものになることを願っているよ。  それからネットオカルト研究部への入部を決めたそうだね。叡凛高校のネットオカルト研究部のことなら聞いたことがある。  比呂、君はいよいよ決心をしてしまったんだね。過去と向かい合う覚悟を固めてしまったんだ。できれば君にはネオ研に関わって欲しくない。理由は……言わなくても分かるだろう? 君のお母さんのことについて、君が傷つくことになるのではないかと、それが心配なんだ。』  その鋭い指摘には比呂も参ってしまった。思わず苦笑を漏らしてしまう。 「……さすがアネモネだ。やっぱり全部お見通しだったか」  アネモネにはまだ叡凛高校に入部した本当の目的を話していないが、アネモネはとっくに見抜いていたのだ。 『比呂、僕は君が望むことを止めはしない。ただ、これだけは覚えておいてくれ。新世界市には何人か要注意人物がいる。その筆頭が《深海の魔女》だ。  彼女は新世界市でも一、二を争う実力を持つ。僕たちにとって警戒すべき存在だ。もし《深海の魔女》が君の秘密を知ったら、彼女は君を敵と見做す可能性があるし、そうなれば決して容赦はしないだろう。だから君も《深海の魔女》をできるだけ接触しないよう、細心の注意を払って欲しい。  白羽や黒羽がいれば、日常生活には何の支障もない。いざとなれば僕も君を助けに行く。だから極度に怖がる必要は無いけれど、その点だけはどうか忘れないでいて欲しい。また君の家へ遊びに行くよ。その時までどうか元気で。                アネモネより』  最後の一文を読み、比呂は目を見開いた。 (アネモネ、次はいつ来てくれるんだろう。楽しみだな……!)  手紙を読む比呂の顔を見て、白羽と黒羽がさっそくからかってくる。 「比呂、まるで恋する乙女だナ」 「マジ恋、マジ恋!」 「い、いいだろ別に! ……っていうか、白羽と黒羽だってアネモネに会うのは楽しみだろ?」  真っ赤になって大人げなく反論すると、白羽と黒羽もそわそわと浮足立った。 「姐さん……胸キュン!」 「姐さん、マジ天使!」 「おうおう、姐さんはワシのもんヤ!」 「姐さんは、わしのもんに決まっとるやロ!!」  白羽と黒羽は互いを恋のライバルだと思っているらしく、ガアガア、ギャアギャアと大騒ぎを始めてしまった。こうなってしまったら比呂にも手が付けられない。 「こら、二人とも! 昨日、アネモネに仲良くするよう言われたばかりだろ!」  比呂は呆れて注意するが、二羽の電脳カラスは聞く耳を持たない。もっとも、どれだけ暴れ回っても家具や壁に傷がつくわけではないので、気が済むまで好きにさせておくことにする。 「それにしても、《深海の魔女》には気をつけろ……か。でも《深海の魔女》って誰のことだろう? これってたぶん、通り名みたいなものじゃないかと思うけど……」  比呂は考え込んだ。アネモネがわざわざ危険だと教えてくれたくらいだから、よほど注意すべき人物なのだろう。あえて近づくつもりは無いが、誰なのか知っておきたい。でないと避けようもないし、気を付けようもない。 (クラスメートや先輩に知っている人がいるかも。学校でそれとなく情報を集めてみよう)  それからもう一度、アネモネのくれた手紙の便せんをそっと撫でると、リアルな紙の質感が指先に伝わってくる。《電脳物質(サイバーマテリアル)》と分かっているが、表示機能のみのメールと比べると不思議と温かさを感じる気がする。  比呂は便せんを封筒に戻すと、それをオンラインストレージに保存した。データ化して電脳(サイバー)空間上の保管場所(ストレージ)へ送ったのだ。  アネモネの手紙を見たくなったら、いつでも専用のサーバーから取り出すこができる。文面の確認はもちろん、手紙を再現することもできるのだ。  手紙を構成していた《電脳物質(サイバーマテリアル)》がぱっと弾けて消滅する。 「さあさあ。白羽に黒羽も、もう寝る時間だぞ。ケンカはお終いだ」  白羽と黒羽は取っ組み合いの喧嘩をして気が晴れたのか、だいぶ大人しくなった。それぞれの新たなお気に入り場所にとまり、(くちばし)で毛づくろいをしている。  比呂は指先の神経ニューラルマウスで網膜ディスプレイ上に浮かんだ電気マークのアイコンをクリックし、部屋の電気を消すとベッドに横になった。 (明日はネオ研の部室に行く日か……楽しみだな。先輩たちと仲良くなれるように頑張ろう……! 《アンノウン》だっけ? あれはちょっと怖いけど)  ネオ研のメンバーは大きなカマキリと互角に戦っていた。比呂にも何かできる事があるだろうか。喧嘩は苦手だが、小学校の頃に剣道を習っていたこともある。その経験が役に立てばいいのだが。  今日の出来事を思い出すと興奮が沸き上がってくるけれど、体はしっかり疲れていたようだ。  だんだん眠気が増してきて、比呂はいつの間にか眠りに落ちたのだった。
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