第4話 市内散策

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第4話 市内散策

 五番乗り場で待っていると、やがて《ブーオくん》が言っていた通り、第七区域・中心市街地(セントラルシティ)行きのバスがやってきた。他のバスやタクシーと同様、運転手はいない。乗り込んで口頭で行き先を告げれば、自動走行で目的地まで連れて行ってくれる。  比呂が入り口近くの窓際席に座ると、バスは緩やかに走り出した。そして湾曲したターミナルを抜け、新世界市の中心部へ向かう。  その無人バスにも驚くべき機能が搭載されていた。それは天井や壁があるにもかかわらず、バスの外の景色がはっきりと見えるのだ。おそらくMEIS(メイス)を利用し、通りや建物の様子、そして空の景色を、バスの天井や壁に投影して見せているのだろう。ちょうどプラネタリウムのように。  だが、MEISが見せる映像は本物と遜色(そんしょく)ないほどリアルでクリアだ。まるで宙に浮いたまま街中を移動しているような感覚になってくる。比呂はバスの中とは思えないほどの解放感と高層建築物の放つ存在感に終始、驚きっぱなしだ。両側に目の眩むような摩天楼がそびえ立っているせいで、青い空がとても小さく見える。  そうして十分ほど走行し、第七区域・中心市街地(セントラルシティ)にある新世界市役所前に到着した。比呂はMEISのキャッシュレス決済で乗車賃を払うと、バスを降りる。  新世界市の市役所は、周囲の建物に負けずとも劣らない立派な建物だった。市役所のエントランスに入ると、大きな花瓶に溢れんばかりの薔薇の花が訪問者を出迎えてくれる。赤、白、黄色、そしてオレンジがかったピンクや濃い紫。色や形、大きさもさまざまだが、不思議と雑然としておらず、とても美しい。  薔薇特有の品の良い、濃厚な芳香も漂ってくる。祖母が使っていた柔軟剤の匂いを思い出し、比呂は少しだけ感傷的になってしまった。 (ばあちゃん、今ごろ何をしてるかな? 僕が家を出て寂しくないだろうか……。ばあちゃんは社交的な性格だから、一人ぼっちになることはないだろうけど)  それでも孫としてはやはり心配だ。新居に着いたら、必ずメッセージを送ろうと心に決める。  それから市民課の受付に向かい、さっそく暫定(ざんてい)住民登録の手続きをする。応対してくれたのは女性の職員だった。 「なるほど……今年から叡凛(えいりん)高等学園に入学されるのですね。分かりました。それではまず、こちらに必要事項を記入ください」 「はい」  比呂は受付の女性が提示したタブレットに、タッチペンで名前や生年月日などを書き込んでいく。  こういったところでは、意外と古い端末が残っている。思うに、世の中にはまだ《電脳ニューロン》を移植していない人もいるからだろう。特にお年寄りにその傾向が強いという。現に比呂の祖母もMEIS(メイス)は搭載していない。  とはいえ、祖母も決してITオンチというわけではない。旧型タブレットを操作するのはお手の物だ。それでも祖母の世代は最新技術であるMEIS(メイス)に苦手意識があるようだ。  ともかく、比呂は必要事項を記入してからタブレットを女性に返却した。 「……はい、承りました。次に個人番号証の提示をお願いします」   比呂が個人番号症を差し出すと、役所の女性はそれを機械に通す。 「香月比呂さんのMEIS(メイス)適応値は355ですね。許可されている《アクセス権》はレベル3。それで間違いありませんか?」 「はい」 「それでは待合室におかけになって、お待ちください」  比呂は言われた通りに白羽(しろは)黒羽(くろは)を連れ、待合室のソファーに座る。市役所内で騒ぐのはさすがにまずいと心得ているのか、二羽とも大人しい。母親に連れられた小さな女の子が白羽と黒羽を指さし、「カラスさんだー!」と口にした時も首を傾げただけだった。  《電脳ニューロン》は一般的に、ヒトの脳が急速に発達する四歳から六歳の間に移植するのが最も効果的だと言われている。  もっとも、移植と言っても難しい手術は必要ない。生体素子(バイオデバイス)――つまり《電脳ニューロン》の元となる神経細胞を含んだ液体を注射器で血管に注入するだけだ。するとその液体に含まれた生体ロボットが血液の流れに乗って脳血管関門をすり抜け、生体素子(バイオデバイス)のみを脳まで運んでくれる。  脳に運ばれた生体ロボットは、脳神経に生体素子を植えつけ、役目を終えると体外へと排出される。脳内に残されるのは生体素子のみだ。  そうして脳細胞や脳神経が発達すると共に、植えつけられた生体素子(バイオデバイス)も増殖していくという仕組みだ。   ただ、《電脳ニューロン》の発達は人によって大きく異なる。人のIQがそれぞれ違うのと同じで、《電脳ニューロン》が発達する人もいればそうでない人もいるのだ。  MEIS(メイス)を構成する《電脳ニューロン》が多ければ多いほど、大量の情報を迅速に処理することが出来る。どれだけMEISに適応しているかで、どんな環境でどのような作業をするのが向いているか。どの職業に適しているか――つまり人生が違ってくる。   MEIS(メイス)に適応している度合いを数値化したものが、MEIS適応値だ。  適応値はこれまでゼロから800まで確認されており、それぞれのレベルに相応のアクセス権が設けられている。  MEIS適応値やアクセス権がもっとも影響を及ぼすのは情報処理能力だ。適応値が低い人間が5秒かかる計算を、適応値が高い人間は0,1秒でできたりする。《電脳ニューロン》が多い脳は少ない脳に比べて高性能(ハイスペック)だということになる。  適応値が100以下であれば、アクセス権はレベル1、200番台であれば、アクセス権は2。  アクセス権は0から5まであり、一般的にはレベル2と3が最も多いと言われている。それ以降はアクセス権が上昇するほど人数も少なくなり、アクセス権5に振り分けられる人は千人に一人という逸材だ。  比呂もアクセス権5を持つ人とは実際に会ったことがない。  MEIS(メイス)適応値が500以上の人々は、アクセス権5に該当(がいとう)する情報を扱うことができる。しかし、アクセス権4以下の人はアクセス権5に相当する情報を扱うことはできない。それ以下のレベルも同じだ。  アクセス権3の比呂は、アクセス権4やアクセス権5の情報を扱うことはできない。これは情報規制や差別ではなく、やむを得ない措置なのだ。  というのも、アクセス権が上がれば上がるほど、扱う情報の量も莫大になってゆくからだ。  適応値の低い人間は、そもそもアクセス権5に属する情報を自身のMEIS(電脳インプラント)で処理しきれない。無理に処理しようとすると、MEISが高負荷に耐えきれなくて異常をきたしてしまう。  だから最初からアクセス権を設け、自身のMEISに見合った量の情報を取得できるようになっているのだ。  ただ、普通に暮らしていくならアクセス権は5も必要ない。大多数を占めるのはMEIS適応値が200番台と300番台の人々だ。アクセス権で言うと、レベル2とレベル3の人々が最も多い。  だから社会の主要なインフラは、アクセス権が2もあれば十分に暮らしていけるよう設計されている。  もちろん、この世には《電脳ニューロン》を移植していない人もいる。また、ごく稀にだが《電脳ニューロン》を移植したにもかかわらず、まったく生体素子(バイオデバイス)が増殖しなかった人も。  そういったMEIS未搭載のお年寄りや《電脳ニューロン》に適応していない人でも、専用の端末(デバイス)を操作すれば同じサービスを受けることができる。  ただ、ちょっと……というか、かなり不便になってしまうのだが。  市民課で暫定(ざんてい)住民登録を終え、市民IDを取得した比呂は、白羽と黒羽を連れて下宿先のマンションへ向かった。  比呂の下宿先は第二区域・再開発地区にあるマンションの一室だ。バスやタクシーで移動しても良かったが、せっかくだから街中を歩いてみることにした。地図アプリで確認してみたところ、下宿先が市役所からそれほど遠くなかったこともある。  実際に街中を歩いてみると、バスの車内から見たのとはまた違った(おもむ)きが感じられた。  広々とした歩道にはたくさんの人々が行き交っている。学生と思しき少年少女、仕事中の社会人、そして比呂と同じように珍しげに街中を見回している観光客。  それにまぎれて電脳マスコットやロボットたちの姿も見えた。彼らもまた、ごく自然に街の風景に溶け込んでいる。  車道にはたくさんの無人の車やバスが行き交っているが、走行音は気にならない大きさで、排気ガスも出ないので、都市部でも静かで空気がおいしい。  上を見上げると、高層ビルの壁面のあちこちに巨大な看板が目に入る。中には古いタイプの電子看板(デジタルサイネージ)もあるが、ほとんどはMEISのみが感知できる電脳看板(バーチャルサイネージ)だ。  その電脳看板(バーチャルサイネージ)に指先を重ね、生体ニューラルマウスでクリックすると、その場で広告の商品を購入することができるし、関連商品の紹介もしてくれる。もしその広告に興味がない、または不快だと感じたら、指先で画面をスワイプし、別の広告にスキップしたり、非表示にすることもできる。  こんなに賑やかで活気があるのに、街歩きをしてもストレスがないのだ。  そのおかげだろうか。田舎育ちで人混みが苦手な比呂も気疲れすることなく、楽しんで街を散策することができた。    
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