3.旧友と友人

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3.旧友と友人

 しとしとと、雨が降り注いでいた。  休日の図書館内は静かながらも、遠くでは親子連れの小さな子供の声が響いている。 《イツ、…これは?》 《あ、それは…》  問いかけに対して小さく答えながら、稜威はノートに解説を入れていく。やがて、《うん》と頷きが返ってきた。  そんなやりとりを繰り返しながら、二人は黙々と閉館まで居座っていた。 「腹減ったーっ!」  図書館を出た途端に、涼は大きく叫んでいた。よほど空腹だったようだ。続いて聞こえる涼の腹の音に、稜威は提案する。 「ちょっと、食べて帰ろうか」 「やった!」  待ってましたとばかりに涼は持っていた鞄ごと両手を上げた。  近隣のファーストフード店に入ると、涼はバーガーを三つと、セット注文を入れる。稜威も、バーガーを一つ注文した。 「涼、それ夕飯なの?」  この後にまだ食事があるわけはないだろうと思いながらも稜威が尋ねると、 「夕飯は別。まぁ…夜食みたいな感じ?」  涼はまだ十八だから、それだけ食べられればまた成長するんじゃないかとさえ思えてしまう。これ以上大きくなれば、もしかすると190に達するのではないだろうか。 「羨ましいな…」  そんな呟きが届くか届かないか。そんな時、稜威を呼ぶ懐かしい呼び声が掛かった。 「久しぶりー! リョウイ!」 「…っあ!」  高校生の時より大人びた私服姿の友人が二人、稜威の側へと歩み寄ってきた。カジュアルな鞄を持った大学生といった装いだ。 「久しぶりだな。元気だったか?」 「うん、俺らは皆んな元気にしてるよ! お前も、もう治ったって聞いたけど…うん、顔色もすごく良くなった…よかったなぁ」  しみじみと嬉しそうに、まるで自分のことのようにそう話す友人に、稜威も心から有難くも感じる。 「あぁ、お陰様でな」  彼らが高校時代の頃は、稜威が体調を崩す度に心配をかけてしまっていた。稜威の回復ぶりに喜んでくれて嬉しい反面、彼らのことが大人びて映り、時の経過を実感する。  そんな友人たちに笑い返す稜威は、涼にはどこか遠慮気味にも見てとれた。彼らはきっと、稜威と同い年の同級生だろう。 「お前って、まだ高校生なんだなぁ…。相変わらずかわいーし!」  そう言いながら、友人は稜威の頭をクシャクシャと掻き回した。  彼らにしてみれば、懐かしさと軽いノリの話でしかなかったのだろうが、涼はつい立ち上がってその男の腕を取り上げていた。 「えっ」  稜威の同級にあたるその大学生は、驚いて掴み取られた先の涼を見返していた。 「やめてください」  静かに涼は言い返していた。 「あ…、そうだったな。ごめんな、リョウイ…」  事情があって卒業できなかったのを知っていながらも軽口を叩いていたことに対して、相手は引け目を感じた様子でその手を引いた。  そんなふうに思いもしなかったのは稜威も同じで、涼と旧友の間に出来た不穏な空気に稜威も思わず立ち上がった。 「いや! こんなの、いつものノリだからさ」  気にしないでくれと言うと、旧友たちは涼に遠慮するようにして「じゃあ、またな〜」と、その場を離れて行った。 「…ごめん。勝手なこと、した…」  席へと再び座り直した涼は、本当に出過ぎた真似だったと反省していた。 (違う。涼は、俺を気遣っただけだ…)  旧友の優しさも、涼の優しさも稜威にはたまらなく嬉しいものだった。 「…あいつらはこんな俺にも、純粋に変わらず接してくれるような奴なんだ。お前もそう、気にするな」  アイツらには後でフォロー入れとくからと、稜威は落ち込んだ様子の涼へと言った。大きな体がシュンとしてしまい、心なしどこか小さく見えてくる。  稜威はその頭を、先ほどの旧友がしたようにクシャクシャと掻き回してやった。  涼がようやく顔をあげる。いつもより元気のないその顔に、稜威は「な?」とやんわりと笑いかけた。  途端にその落ち込んでいた筈の顔が破顔する。 「イツの手、…気持ちいいな」  感触に浸る様にそう言われて、稜威は一瞬で顔を赤くさせた。 (なんだ、それは…!)  自分が旧友たちにされていた仕草と同じように真似たまでのことだったが、稜威は思わずそこから手を離していた。 「なぁ、もっかい、やってよ」  おねだりまでしてくる涼はどこか本当に忠犬のようだった。 「……ありがとな」  言いそびれたお礼を添えて、稜威はその自分より大きな頭を、今度はやんわりと撫でつけたのだった。  その晩。稜威は旧友へのフォローとして改めて電話を入れていた。 『いやほんと、びっくりしたよ…。お前の後輩、マジでおっかねーのな? それで、お前は大丈夫なの? 学校ではいじめられてないか…?』  旧友からしてみれば、涼の眼差しは鋭くて、言葉以上の牽制を感じた様子だった。逆にそんな彼と共にしている稜威自身のことを、ひどく心配されてしまう。確かに涼は、背が高くて異国風な出立ちをしているせいか、涼を知らない人間からすれば彼には威圧感を感じてしまうかもしれない。 「あはは、涼なら大丈夫だよ。いつもはあんな感じじゃないんだけどな…。最近はむしろ、俺の体力作りにまで毎日付き合ってくれてるんだ」  涼の誤解を解きたくて、稜威はついそんなことを話していた。 『ええっ!! お前、受験生の大切な時間を奪ってんのかよぉ…。お前はもうこれで三年目かもしれないけど、相手はこれが本番なんだぞ! 体力つけたきゃ、ひとりでジムにでも行っとけ!』  正論を捲し立て上げられて、稜威は「ごもっともで…」と返すほかなかった。けれど、こんなことを言ってもらえるのも、旧友ならではの関係といえる。  旧友との通話を終えると、稜威はベッドへとゴロンと横になった。 (確かに…涼の時間を奪う訳にはいかないな。でも、涼は今もひとりで走ってるみたいだし、代わりに勉強も見てるからまぁ…いいか)  それほど邪魔にはなっていない気はしている。それに勉強を見ているといっても、涼はとても優秀だった。頭も良くてイケメンで体格もバッチリなんて、どこの王子様だとつっこみたくもなりそうなほどだ。  普段から涼といると、別の意味でも注目を浴びることがある。女性の視線が半端なく降り注がられるからだ。それほどに涼は異性にモテる。  けれど当人から女の話を聞いたことなど、これまでただの一度もなかった。 (あ、俺のことを“女のレベル”とは言ってたっけ)  握られた自分の手首をマジマジと眺めながらも、改めて見た腕はやはり涼とは比べものにならないほどに細かった。でも、彼はこれを“キレイ”だと言った。  そう思い出せば、稜威は今更ながら耳が熱くなるほどに火照り上がった。  涼のあの逞しいまでの腕に、ただの憧れを感じたわけではなかった。羨ましいと感じた反面、あの腕を愛しいとさえ感じた自分がいた。 (これって…どうなんだ…?)  自分に懐く後輩にあたる同級生を、稜威はどう表現したら正しいのか、まだよくわからずにいた。  それからも幾度となく共に勉強をしたものの、稜威からみても涼の学力は相当なものだと思えた。  放課後の静かになった教室に居残って、二人は机を挟んで向き合って学習していた。本日渡された試験結果を見せ合うと、その判定結果からも涼が結構な学力を保持していることが判明した。  しかも、志望大学が稜威と同じK大だったことで、稜威は涼の学力に余力さえ感じてならなかった。 「お前なら、もっと上の方を狙えるんじゃないか?」  県外の有名大学だって狙える位置だろう。親御さんだって期待しているんじゃないだろうかと、涼と今でこそ成績の変わらない稜威でさえそんな涼の志望大学に勿体無いとさえ思えてしまう。 「それを言うならイツだって同じだろ?」 「まぁ俺は…県外まではあまり行きたいとは思えないんだ」  今まで病気で散々両親を心配させてしまったこともあって、稜威は親元を離れて暮らす選択は考えられずにいた。親は当然ながら息子の体を心配するし、それに、自分でも己の体に到底自信など持てなかった。 「…そっか、じゃあ同じだ。俺も、県外の大学にまで魅力を感じないってのが正直なとこだな」 「へぇ…? 欲がないんだな」  素直にそう感じて、涼らしいとさえ思えた。  けれど、稜威が“欲がない”と表現した言葉に対して、涼は考えを改める。  欲が、ないわけではないのだ。 「あ、でも…。イツが県外に行くって言うんなら、俺も行くかも」  言ってしまってからあまりにストレートすぎたかと、涼は我に返って口を閉ざしたが、稜威はまるで聞き逃しでもしたかのように「ふぅん」と呟いただけだった。 (俺の“欲”はイツだけなんだ)  直感的に、涼はそう自分の気持ちに気がついた。あからさまにドクドクと跳ねる鼓動を抑え込んで、涼は隣で背を向ける稜威を横目に眺め下ろしていた。稜威の耳が太陽に晒されて赤く染まっている。 (耳の赤さは、本当に太陽のせいなのか…?) 「…イツ?」  確かめたくて名前を呼んだが、稜威は振り向かずにいる。涼は咄嗟にその腕を掴んで強引に自分へと振り向かせていた。  その顔は、太陽の光のせいでもなく真っ赤に染まり上がり、眉根は寄せられて困ったような表情をしている。 「イツ…?」 「それって、どういう…」  稜威は声を絞り出すように辛うじて問いかけた。 (まるで涼が、俺のことを追いかけてるみたいだ…)  涼は咄嗟に、稜威の身体を抱き竦めていた。  すっぽりと涼の腕に収まってしまったその身体は、確かに女性ではなく男性の骨格そのものだった。けれどそれはあまりにも薄くて、儚ささえ感じてしまう。 「俺はイツのこと、女だなんて思ってないよ。それだけイツのことが大事なんだ…」  いつか稜威が気にしていた台詞を思い出して、涼はその耳へと呟く。 「あぁ…。お前が俺のこと、大事に思ってくれてんのは、ほんとによく…分かってる」  本当にそれは、稜威だってよく分かっていることだった。だからこそ、それが友情以上のものなのかと、淡い期待さえ抱かずにはいられないほどに。 (でも、それは女としてではなく…) 「分かってる。俺だって、お前のことは大切なんだ。だから、“友達”に合わせて受験先なんて決めるなよな!」  稜威はトンとその抱き締める涼の胸を押しのけた。とたん、涼の顔がサッと青ざめたように表情を変えた。 「え。待って、…イツ?!」  稜威は卓上の荷物を鞄に突っ込むと、逃げるようにして教室を出て行ってしまった。      
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