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5.番犬
「先生ー、来宮イツが体調不良で…」
体育の授業中、半ば恒例化のようにして調子を崩した稜威を連れて、涼は保健室を訪れていた。
けれど保健医は不在だった。
「…まぁ、いいか。勝手に使おう」
稜威をベッドに寝かせて、涼はもう勝手知ったるがごとく棚からタオルを取り出すと、水で濡らしたタオルを横になった稜威の額へとあててやった。
「どう?」
あてられたタオルの気持ちよさに浸りながら、稜威はうっとりと瞼を閉じていた。
(気持ちいー…)
「うん。だいぶ良い」
稜威の顔は真っ赤に熱っていて、相当体温が上がっているのが涼にも見てとれた。
暑い日が続いたせいか、太陽に慣れない稜威は体育の授業中に、暑さにふらついて保健室へと連れられてきたのだった。
「そう。じゃ、俺は戻るよ」
「えっ」
いつもならここぞとばかりにサボりを決める涼だったが、今日はなぜか授業に戻ると言い出した。稜威はつい、離れ難い未練が混じって問い返してしまう。
「…さすがの俺だって、こんな状況じゃお前に変な気起こしちまうし?」
涼はそう戯けて話しながらも去ろうとするそのシャツの裾を、今度は稜威が引っ掴んでいた。
「こんな状況なら…、その…キスくらい…」
思わず口から出た願望に、稜威の頬が更に赤みを帯びる。顔から蒸気が出ているんじゃないかとさえ思えてしまいそうだ。
そんな可愛らしい頬に涼はキスをすると、半ば開かれたその唇へも舌を絡めていった。
久しぶりに触れるお互いの舌先は、痺れを伴いながらもしばらくの間、離れられずに擦り合わされる。
「ふ…ぅ…」
苦しげに呼吸が繰り返されて、稜威は堪らず腰をくねらせた。
「あ、イツ。もしかして…勃った?」
身を捩らせて性欲を我慢する稜威に気がついて、涼はそっと掛けられた布団の中へと片手を忍ばせる。
大腿の間に手のひらを滑らせれば、稜威の股がぎゅっと窄められた。
「ダメ…っ」
それでもそこへと半ば強引に手のひらを押し当てれば、稜威のそこは不自然にも隆起していた。
涼は稜威のベッド脇へと膝をかけて乗り上がると、薄い布団を剥いで彼の下半身を晒した。
「ほら」
体操着のパンツの上からでもあからさまにそれは主張されていた。
そのパンツの中から涼はゆるりと立ち上がった稜威のそれを取り出して、そっと握り込んでいく。
「…っふぅ…」
堪らず稜威は吐息を溢す。涼はそれを丁寧に煽り立てていった。
稜威は喉を反らせながら、与えられる快楽を逃そうとする。
「イツ。声、抑えて」
稜威の口を涼は右手で押さえ込んだ。どうしても漏れ出る声を抑えようとしての行為だ。
「…ンッ?!」
稜威は口を塞がれたまま、慌てて出入口のほうを確認してしまう。
(そういえば、鍵…っ!)
誰かが今入ってきてしまえば大変なことになるだろうと、稜威は口を押さえる涼へと視線で訴えようとした。
「ん? ああ、鍵なら大丈夫。実はさっき閉めたんだ」
ちゃっかりと既に保健室の入口の鍵を締めていた涼に、稜威は口元を塞がれながらも思わず目を見開いた。
(さっきは、授業に戻るって言ってたのに…!)
嵌められた気分に陥りながら、稜威はムウッと目の前の涼へと抗議していた。
「いや! そうじゃなくて…。保健医は今日、出張で居ないんだってば。だから本当に、俺は授業に戻ろうと思ってて…」
実のところ、涼は他の先生から保健医が不在であることを予め聞いていた。ここに来るまですっかり忘れてはいたものの、二人きりになれると分かれば出来心でつい鍵もかけたくなってしまったのだった。
でも、本当にすぐ戻るつもりだったのだと涼は伝えた。
「でもさ…。出て行こうとしたらイツが呼び止めるから…」
確かに呼び止めてキスをせがんだのは稜威の方だった。遠慮がちに稜威の口を塞ぐその彼の指を、稜威は居た堪れずにその舌で舐めとった。
「えっ、イツ…?!」
涼の指を割り入るように入り込んだその舌が、涼の興奮を更に煽り立てる。
稜威もまた自身の声が漏れない様にと、その指を懸命に舐め続けた。
卑猥にも聞こえる音を立てながら、涼は限界のあまり自身のズボン前を開けて屹立しきった己を取り出すと、同じく稜威のものと擦り合わせて手のひらで一緒に包み込んだ。
「イツの手も、貸して」
呼びかけに応じて、稜威の両手が涼の手を覆ってゆく。
口元を塞いでいた涼の手はいつの間にか退けられて、代わりに涼の唇が彼の口を塞いでいた。
吐息だけが二人の間に熱く漏れて、やがて鼓動も競り上がっていく。
「…っう……ん!!」
稜威の喉が引き攣るようにして上へと逸らされると、お互いが包み込んだ手の中へと白濁した液体が脈を打ちながら濡らしていった。
保健室の水道を借りて身なりを整えた二人は、チャイムの音とともにそこから逃げるようにして離れていった。
「イツ、体調のほうはもう大丈夫か?」
「…あんなことしといて、お前が言うか? …まぁ、ちょっとまだフワフワしてるけど平気」
それがただの体調不良なのか、先ほどの名残なのか。まだ火照りさえ残る頬へと手をあてながら、稜威は恥ずかしくなりながらも廊下の先を歩いていく。
制服を残したままの教室へと荷物を取りに戻ろうとすれば、体育を終えたクラスメイトたちがぞろぞろと教室へと戻ってくるところだった。
「あー! お前ら、また途中で抜けたなぁ?」
「ズルいぞー!」
サボりを非難された挙げ句、稜威までもが共犯扱いにされてしまっている。
けれど稜威もまた、保健室での後ろめたさを感じで反抗できずにいた。クラスメイトの中からは、押し黙るそんな稜威を見て、
「体調、良くなったみたいで良かったな」
と、そんな声も聞こえてきた。
「うん。ありがとう」
優しい言葉をかけるクラスメイトに稜威は礼を言いつつ笑顔を向ける。するとそこに居たクラスメイトらがポカンと固まってしまった。
それほどに、稜威の笑顔はクラスメイトたちへと魅力的に映っていた。
「来宮って、あんな感じだっけ…?」
ぽそりと誰かがそんな声を口にした。どこかポーッとさえしてしまうほどの笑顔を前に、動揺をみせたのは涼のほうだった。
涼は隣に立つ稜威の肩をしっかりと抱き込むと、
「イツは、…俺のだからな!」
まるで飼い主をとられまいと吠える番犬のごとく、涼は独占欲丸出しで稜威の体を自身へと引き寄せた。
「ハイハイ…。今更とらねーって。ほんっと涼って、来宮には過保護だよなぁ」
クラスメイトたちは場に白けるようにして方々へと散っていく。
「あ…あれ?!」
牽制したつもりが相手にもされなくて、涼はクラスの皆の背中を見送ることとなる。
「バカ……!」
稜威は涼のその腕を跳ね除けると、自分もそのクラスメイトたちと一緒に教室へと入って行った。
「ええ? 待って、イツ〜〜!」
やっぱり飼い主の後を追うようにして、置いてかれた番犬は嬉しそうにその背中へと飛びついていった。
それ以来、クラスメイトからも気軽に話しかけられるようになった稜威は、いつの間にか彼らにも『イツ』と呼ばれるようになっていた。
涼が散々、そう稜威のことを呼んでいたからだろう。
どこかむず痒さを覚えながらも、稜威はこのクラスに自分の居場所を見つけた気もしてしまう。
やがて、この学年にもまもなくして受験シーズンが到来するだろう。
彼らもまた、それぞれの人生を歩むべく進路を決めて方々へと散っていくことになる。
稜威は結局、涼の進路には何も口を挟まない事に決めた。涼の進路がどうあろうと、涼の人生を決めるのはやはり、涼自身でしかない。
来年の春、涼は稜威の隣に今と同じようにいるかどうかはわからなかった。
けれど、きっとどんな形にしろ彼は稜威の近くに在るのだろうと感じた。
たとえこの先の道が違えたとしても、今よりも会える時間が減ってしまうのだとしても。
共に歩む彼はもう、“友人”などではなく、稜威の“恋人”なのだから。
おわり。
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