濡れ手にあわ

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濡れ手にあわ

「あ~ もう全然アカン!ボロ負けや!」  そう言ってリビングのソファーにカバンを放り投げた娘を見て明子はため息を付いた。   「行儀悪いなあ……」  女のくせに、と言いかけた言葉はグッと飲み込んだ。  イマドキ、「女ならこうせえ、ああせえ、これはすな、あれはすな」は御法度だろう。 「やっぱり競馬で家は建たんな。勝てた試しないわ」  娘は仁川の阪神競馬場に行ってきたようだ。女だてらに……おっとこれも禁句だ。 「負けるようになってんねんで、絶対!」  アンタの馬見る目がないだけや。明子は心の中で呟いた。 「一攫千金なんか結局無理やねん。濡れ手にあわや」  娘のその台詞に明子は ん?となった。 「そもそも競馬は濡れ手に粟やろ。一攫千金狙うからみんなせっせと賭けるんちゃうの?」 「どのみち濡れた手では掴まれへんやん」 (ん? この子ひょっとしてまた勘違いしてるんか……) 「濡れ手にあわのあわはシャボンの泡じゃないで。稗や粟、穀物の粟のことやってわかって言うてんの?」 「え?ブクブクの泡のことじゃないん?」  やっぱり。この娘はことわざの意味をしょっちゅうはき違えて覚えているくせにやたらと使いたがる癖がある。賢ぶって余計にアホなんがバレている。 「濡れた手を粟に突っ込んだら掴まんでも勝手に粟が引っ付いてくるねん。労せず利益を上げる、いう意味や。つまり競馬で万馬券当てるみたいなもんやな」 「だから~。そんなん無理やねんて」 「だから~。一攫千金とか狙わんと地道にコツコツ働きって。狙って出来ることちゃうで、濡れ手に粟なんか」  娘はぷうっと頬を膨らませた。競馬も当たる人は当たる。要は娘は競馬に向いてないということだろう。 「堅実にバイトにでも精出しぃ」  そんな話をしているところに、高校生の息子が大きな箱を抱えて帰ってきた。 「アンタ、何その大荷物。またしょうもないモン買おたんか」  明子の怒声に息子は満面の笑みで応えた。 「学校帰りに友達ん家の前でしゃべっとったら、そいつの隣ん家のおっちゃんが声かけてきて……」  家の前で立ち話をする息子達の会話が聞こえたそのおじさんは、 「兄ちゃん、近鉄のファンなんか!」 と声を掛けてきたそうだ。  息子は旧近鉄バッファローズの大ファン、いや旧近鉄バッファローズのバッファローロゴのマニアなのである。バッファローロゴの付いたものなら何でも手に入れたがり、自分の部屋はバッファローで溢れかえっている。 「そのおっちゃんも昔近鉄のファンやってんて!ほんでそんなに好きならコレ持って帰れってこんなにいっぱいグッズくれてん!!」  息子の失禁しそうな喜びようと、その手に抱えた息子にとっての玉手箱を見て明子は深いため息を付いた。これでまた息子の部屋は更に恐ろしい有様になるのだろう…… 「こうゆうのが濡れ手に粟ってゆうねんな」  楽しげな娘の声に明子は力なく頷いた。
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