第5章 庇護

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第5章 庇護

「ご苦労様、堤。すべてうまく運んだようね」 手入れの行き届いた心地よい部屋で、美那子はソファに座ったまま目の前に立つ堤の報告を聞いていた。 「恐れ入ります。さすがにあの女も、これ以上表沙汰になってはまずいと悟ったのでしょう。たとえ再び捜査の手が及ぶことはないにしても、世間の口さがない詮索を望む馬鹿はいないでしょうから」 「そうね。あの人にしてみれば、兄と私が死ぬほど邪魔だったんでしょうけど」 堤はその端正な顔貌を無念そうに歪めた。 「お父様は、透也様が亡くなられた時にひどく後悔なさって、せめて美那子様だけはと……。下手にあの女を放逐して騒ぎを起こされるよりは、目の届くところに置いて監視する方が美那子様を守れるとお考えに……」 「判ってるわ。あなたのおかげで離れていても父とは連絡が取れていたし、生活にも不自由はなかった。あの家にいたら、私もこの歳まで生きられたかどうか……」 「仰るとおりです。もしも美那子様の身に何かあれば、私は亡き奥様に顔向けできませんから。でもこれですべてが片付いて、私も肩の荷が下りました――ところで美那子様、あの絵はどうなさいますか?」 美那子はどうでもいいとばかりに肩をすくめた。 「あなたの言うとおり、所有権はそのままで○○美術館に貸し出すことにするわ。その方が絵のためにもいいし、多くの人に観てもらえれば父も喜ぶでしょう」 堤は安堵したように微笑んだ。佳澄と対峙していた時とは別人のように柔和な顔つきだった。 「それがよろしいかと存じます。美術館に貸し出す賃料だけでもかなりの収入にはなるかと。何しろ今回の騒ぎで、あの絵の価値はさらに上がり続けていますから」 「天才画家・三船源太郎が最後に描いたのは、最愛の前妻と亡き息子、そして行方不明の娘。それだけでも充分センセーショナルなのに、今の妻は描かないどころか、わざわざ描いたあとに塗り潰したなんて醜聞を知られたら、確かに騒がれもするでしょうね。父がそこまで計算していたかどうかは疑問だけど――さてどなたがそんな情報を世間に流したことやら」 美那子のからかうような口調に、堤は素知らぬふりで答えた。 「お父様のいつも突拍子もないことをなさる方でしたから。失礼を承知で言えば、美那子様はお母様似ですから、私は内心安堵しておりますよ」 美那子は軽く頬を膨らませた。 「そうかしら。私は写真でしか母を知らないけど、そんなに似てるとも思えないわ」 「いえ、そんなことはありません」 堤はすかさず反論した。 「透也様も美那子様も、お二人ともお母様に……雪乃様によく似ておいでだ。特に美那子様は、その色白な肌も、ふっくらした頬と桜の花びらのような形の唇も、あの夢見るように美しかった雪乃様にますます似て……」 堤の声に熱がこもる。座ったままの美那子の頬に彫刻のような手が触れた。 その手が次第に下に降りてきても、美那子はソファに身を沈めたまま身じろぎひとつしなかった。
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