第4章 絵は語る

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第4章 絵は語る

佳澄の強い主張により、源太郎の遺作となった『家族の肖像』は、すぐさま専門家の集団によって真贋を鑑定されることになった。 だがその結果が、より事態の混迷を極めることになったのは皮肉な話だった。 「あの絵が間違いなく本物ですって!?」 「我々もすべての見識をもって鑑定致しました。あの絵がご主人様の筆によるものであることは間違いございません」 佳澄の元を訪れた鑑定団は、おろおろと落ち着かなげに上申した。いかにも早くこの場を辞したいという雰囲気が満載だ。 「じゃあ、妻たる私の存在はなきに等しいってこと?」 「――その答えはこちらです」 鑑定団の代表が恭しく報告書を差し出した。訝しげに受け取った佳澄は、椅子の上で斜に構えてぱらりと開いた。不快げに眉根を寄せたその顔が、めくるに従ってだんだんと蒼ざめ、その手がわなわなと震えてくる。 「こんな……こんな馬鹿なことが……!」 「念には念を入れて、我々はこの絵をX線で調べてみました。すると報告書にありますとおり、今の絵の下に、別の絵が隠されていることが判りました」 「それがこれだっていうの!? 絵の下に私が……私の絵が描かれてて、その上から新たに絵具で塗り込められたなんて……しかもあの女の下に……!」 返事の代わりに鑑定団は一斉に俯いた。ただ一人、堤だけが平然と顔を上げている。 報告書には、その詳細が厳然と記されていた。X線鑑定を試みた結果、前の妻が立っている少し後ろに、佳澄と思しき女性が隠れて描かれていることが判明したのだ。 ただ絵の下に描かれた佳澄は家族の輪に入る様子はなく、その背後にある滑り台のようなものに手をかけてあらぬ方を見ているという、何とも不可解な構図であった。 気まずげな沈黙の中で堤が頷くと、鑑定団は安堵したようにそそくさと部屋を出ていった。 「――これでお判りになりましたか。三船様は、明確な意思を持ってこの絵を描き上げられたということです。これが自分の家族だと明言なさるために」 「理解できないわ! 私は長年ずっと三船に尽くしてきたのよ! ならいっそのこと、私のことなんて描かなければいいじゃない。わざわざ描いて上から塗り潰すなんて真似しなくても……!」 「その理由は、あなた自身がご存じなのではないですか?」 「私が?」 「よくお考えになってください。三船様の遺産相続のこの場に、なぜお子様方がいらっしゃらないのか」 「な……!」 今や堤の目には、はっきりと敵意の光が宿っていた。 「長男の透也様は、わずか七歳の時に不慮の事故で死亡。確か公園で遊んでいる時に滑り台から落ちたのでしたね。その時側にいたのは佳澄様お一人と、まだお小さかった美那子様のみ」 「あれは……あの時はあの子が、透也が調子に乗って騒いで……」 「透也様は極度の高所恐怖症でした。滅多なことでは高いところに上ることなどなかったはずです。まして公園の滑り台などと……」 「堤さん、あなた私が……!」 真っ青になった佳澄を見下ろしながら、堤は氷のような口調で容赦なく続けた。 「もちろん、あれが事故と結論付けられたことは(わきま)えております。目撃者もなく、まして年端もいかない幼女の言うことなど証拠にならないのは、私も弁護士の端くれですからよく理解しております」 「じゃあ美那子は、あの人が……!」 「残された美那子様もお気の毒に。家からしじゅう泣き声や女の怒鳴り声が聞こえてきたとか……ええ、確かにどこかでされた方がよろしいでしょうね。そう、”家から遠く離れた”どこかで」 佳澄の唇が、ぬらりと口惜しげに吊り上がった。 「……どうりでおかしいと思ったのよ。長い療養の果てに行方不明だなんて。どこぞで野垂れ死にでもしててくれればと思ってたけど……」 堤の目が一瞬鋭く光った。だがそれでも慇懃な態度を崩すことなく、淡々と佳澄に告げた。 「――ですが三船様は、真実を厳しく追及することを拒まれた。そのご心情のほどは、私には判りかねます。ですが、これが三船様の胸のうちにしまわれてきた積年の思いなのでしょう」 「あの人の胸に……?」 「もしあなたが素直に現実を受け入れさえすれば、そこまで明るみにはならずにすんだ。ですがあなたはこの絵に納得できず、より嘴を突っ込もうとした――それこそがまさに、三船様がこの絵を描かれた理由なのですよ。これは三船様の最初にして最後の警告です。家族の肖像からあなたを排除したこの絵によって」 佳澄の顔がぐずりと歪んだ。その唇の端から乾いた笑い声がこぼれ出る。 だがそれでも堤の能面のごとき顔つきは微動だにしなかった。
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