思索=詩作

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 東の定義=同時刻を早く迎える  同時刻=太陽の日の出か南中どちらでもよいが、一日の中で同じ位置に来ること  そのように決めごとで、定義はされる  「有る」という定義はどうか  「ない」という定義は「有る」の反対という事で決めごとだろう  でも「有る」は第一義的で決めごとではなかったような気がする  たとえ「有る」も決めごとで「この現象」を「有る」とよぼうということになっても、そういうふうにさせたのは、神がいるなら神だろうし、第一義的で最初に「有る」という言葉を発見した人に「この現象」を「有る」とよびなさい、といったのも神だろう  それだけ「有る」という言葉は一義的なのだ  いずれにしても決めごとが論理体系を作り上げていったのはほぼ間違いないし、神を信じるか信じないかは、私の前のエッセイ※で書いた通り信じるなら今日の詩作は生きるし、(勉強する上で役に立つし)信じないにしても、二者択一以外の生き方(哲学)は無意味である ※私の前のエッセイ 哲学は無意味だ。  「ある、ない」という恐らく最初の言葉(調べてもそれが最初かどうか分からないだろうが、しかも人間が使ったかどうかも分からないだろうが)はそれを使いなさいといった超自然的な存在を信じる・・・・・・①かどうかに結局かかってくるだろうから(サルにしても人間にしてもその「ある」という言葉を存在することと関連づけて使ったということもあり得るがそれは考えにくいということになれば結局①になる。)  結局神はいるかいないかのいずれかを信じるかどうかということに帰着する。
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