皆さまどうか押し潰されないように

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私の家庭は父親が強くいわゆる亭主関白というやつでした。 母は父の言いなりで小さな弟が思いっきり殴られていても「何かしたんでしょう? 」と助けてくれない。 父親は私が小さな頃からいろんな習い事をさせてくれました。 ピアノに塾に水泳、習字と必要なものはなんでも揃えてくれました。 しかし、私が小学校に入った頃のことです。 父はテストは全て百点をとりなさいと言いました。 当然とれるわけがありませんでした。 しかし算数だけは百点をとりました。 家に帰り、父にこの事を報告すると全て百点をとれなかったことを怒られ殴られ家から追い出されました。 みんなが寝静まったあと弟がこっそり家の仲に入れてくれました。 中学生に入った頃のことです。 またもや、父に生徒会に入れと言われました。 演説で最後の二人まで残りましたが、父に言われたからやる私と自分の意志で演説する相手の子に申し訳なくなって相手の子に譲りました。 父には怒られるのでじゃんけんで負けたといい、各専門委員会のサポートをする生徒会役員の事務局と学級委員を勤めました。 父はじゃんけんは仕方ないと思ったのか今度は怒りはせず喜んでくれました。 家族で夢の国に行ったときの話です。 父は迷子になるといけないからとスマホを買って使い方を説明してくれました。 しかし、一回では分からなかったためもう一度聞くと「なんで一回で覚えられないんだ」と怒り母と泣きじゃくる私と小さな弟を置いて一人で〝車〟で帰ってしまいました。 そう、車で……、残された私たちは電車で帰ることになりました。 中学の終わりの頃です。 父は「悠夢、お前は勉強が得意だからレベルの高い高校にいきなさい」と言いました。 父はまさか自分のせいで私は勉強が苦手なのに頑張っていい成績にしているとは思いもよらないようでした。 そして、「この高校に行くにはもっとレベルの高い塾に通わなければ行けないお前にあの塾はおさまりきらない」と言い私を別の塾に行かせました。 私はあの塾が気に入っていたのですが、私に期待してよかれと思って行動している父には反論できませんでした。 私は塾で吐くほど頑張りました。 すると、塾の先生が「これ以上勉強させるのは可哀想だ」と父に訴えてくれました。 そうすると私は元の塾に戻してもらえました。 高校受験前日のときのことです。 父は怖じ気付いたのか志望校より少し偏差値の低いところをうけるように言いました。 当日、余裕で受かりました。 大学生になった頃のことです。 やっとここから離れることができるとほぼ家出のような形で独り暮らしを始めました。 大学生活はネットの情報とは少し違ってまったりする時間はありませんでした。 10教科履修で毎週課題を出すのが6教科もあり日々はレポートを書く地獄と化しました。 卒業し社会人になった頃です。 私は公務員になりました。 しかし大学では何をしなければいけないと決まっていたので忘れていたのです。 私は自分で決めることができないことを、父に言われたことだけをやっていたことを……忘れていたのです。 (お父さんならここは印象をよくしておけと言うだろうな) 『プリント印刷しておきますね』 『これ出張のお土産です、よかったら皆さんで食べてください』 「森さんってすごく気遣いできるよね」 「ね、しかも仕事もできるしほんと尊敬しちゃう」 (周りの印象は大分よくなってきたな、あ~あ…もしあの時あのまま志望校に行ってたらもっと人生違ったのかな) (私はずっとお父さんならこうする、で生きていかなきゃいけないのかな) そう考えたとき私の中にずっと溜め込まれていた何かが溢れた。 (私はずっとお父さんを恨んで生きなきゃいけないのかな) 父は私より当然年上だから寿命では私より先に死ぬ、このままでは私は父を恨み続けるだろう。 しかし私が父と仲直りするために会いに行けば私はまた父に期待を背負わされるでしょう。 ずっと期待が元気づけてくれた。 私には期待が足枷だった。 そして今もその足枷によって行動できずにいる。 これを読んでいる貴方は誰かに期待を向けられたことはありますか? 失敗したことで失望されたことはありますか? そんな時はこの話を読んで自分と似たような境遇の人は自分の意志を持たなかったことで過去を嘆いていることを知ってください。 そして自分をしっかり持ってください。 皆さまどうか期待に押し潰されないように…。
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