放課後

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「あなた」を消しても、詩としての意味は変わらない。美幸(みゆき)が「あなた」の意味を間違えていたとは思えないから、彼女は詩の中身とは直接関係ない理由で、教科書を塗りつぶしたんだろう。  その肝心な理由も、自分が美幸の秘密にこだわる理由もまだ分からない。でも、考えは少し前進した気がする。  美幸のようにまっすぐ顔を上げて、俺は少し勢いをつけて教室の扉を引いた。 「きゃっ!」  扉に近い自席に座る明奈(あきな)が、叫んでこっちを振り返った。彼女の隣には、同じように驚いた顔の美幸が立っている。 「あ、ゴメン。二人ともまだいたんだ」 「そうよ、悪い?!」  美幸が黙って頷く一方、明奈は天然パーマの髪を振り乱し噛みついてくる。黙っていればお人形みたいな明奈は、口を開くとただ残念な女子だ。 「今日も算数で居残り、超面倒くさい! もう嫌、難しいことは全部ミユが代わってくれたら良いのに」  その瞬間、美幸の口元がこわばる。けれど、美幸の変化に無頓着な明奈は、延々と文句を垂れ流す。  俺は、わざとらしくため息をついた。 「アキ、それだけ言葉を覚えて口から出せるなら、公式覚えるくらい楽勝だろ。それに、アキを助けるかはミユが決めること。算数の居残りだって、お前のために付き合ってくれてるんだろう?」  明奈が、悔しそうにぐっと押し黙る。と思ったら、 「何よ、クウのくせに偉そうに! あたし帰る! ママに迎えに来てもらう!」  (しつけ)のなっていない小型犬のようにわめき散らし、明奈は頭から湯気を出しながら教室を出ていった。その後ろ姿を見送り、美幸と俺はどちらからともなく顔を見合わせた。お互いに苦笑が漏れる。 「悪い、後でまたアキに言われる?」 「ううん、大丈夫」  その表情に、さっきの固さはない。  家同士のしがらみで、明奈は昔から美幸を従えようとする。美幸のものは何でも欲しがるし、不都合は全て美幸に押し付ける。そのくせ、美幸が自分から離れることを許さない。 「先生にも相談してるし。まだ時々ああ言うけど、アキも本当は分かってるの」 「そうか。何かあったら言えよ……って、俺も先生に釘刺されたけど」 「クウが?」  首をかしげる美幸に、俺は軽く舌を出して白状した。 「教科書、先生にバレてた」 「そうだったの? アキに貸してるって先生も勘違いしてくれるかと……ごめんね」 「気にするなって。忘れろってメッセージも兼ねてたんだし」 「分かってくれてありがと」  俺が笑いかけ、美幸も小さく笑う。彼女はそのまま、これでこの話は終わりとばかりに自分の席に戻ろうとした。  その背中を止める言葉を、俺は知っている。 「うん、でも無理」
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