立ち止まって、振り向いて

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立ち止まって、振り向いて

 築年数がわたしの年齢よりも上の木造アパート、一階。一〇三号室の呼び鈴を押して少し待つと、チェーンを付けたままの扉が控えめに開いた。  僅かな隙間から様子を窺うように顔を出した野島さんは、わたしを見るなり、きりっとした眉の間に深い皺を寄せ、一重まぶたの目を訝しげに細め、そのまま固まってしまった。 「こんばんは。お疲れ様です、野島さん」 「……新聞は間に合ってます」 「訪問販売じゃありません」 「……貴金属は持ってないです」 「訪問買取でもありません」 「……うちテレビはないので……」 「支払い請求でもありません」  警戒心が野生の小動物並みの上司は、ドアの僅かな隙間をさらに数ミリほど内側に引いて、今にもドアを閉めてしまいそうだ。もう五年の付き合いになるというのに、ここまで信用されていないのは、正直少し傷付く。 「じゃ、じゃあ何なんだろ、今日ぶつかって、葵ちゃんが持っていた書類をばらまいちゃったから?」 「いえいえ」 「急いでたからって、それを拾わずに立ち去ったから?」 「いえいえ」 「じゃあこの前飲みに行ったとき、酔って肩組みながらダル絡みしたから、セクハラで裁判起こす?」 「裁判なんて起こしませんよ」 「じゃあ本当に何なんだろう、だって葵ちゃん、来る場所間違ってるでしょ?」 「どちらかと言えば間違ってますね」  野島さんは眉間の皺をさらに深く、一重まぶたの目をさらに細くし、夜間のため潜めていた声をさらに潜めて「……なにこの子、何が目的なん……めっちゃこわいわ……退職して地元帰ろかな……」と、不穏なことを呟いた。心の中で言うべき台詞がだだ漏れである。動揺しているのだろう、滅多に聞けない方言まで漏れ出ている。
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