悪役令嬢はご遠慮します

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悪役令嬢はご遠慮します

 その晩、某WEB小説投稿サイトで連載開始直後からランキング上位圏を保ち続ける超人気作に、読者を震撼させる大異変が起きた。 「さようなら、ロザリーヌ・フィルメリア。悪いけど、私の書いた小説から出て行ってもらうわ」  ロザリーヌ・フィルメリア。某作の悪役にあたる令嬢であり、主人公アイリス・フィルメリアの妹でもある。    作者はその晩、自作内からロザリーヌの存在を消した。  ——え、どういうこと?  ——そろそろロザリーヌを追いつめて盛り上がってきたところだったのに!  ——ってか、ロザリーヌがいなかったら物語が成立しなくね?  ——悪役消えて突然のスローライフエンド。  コメント欄が荒れに荒れ、炎上商法さながらの盛り上がりを見せてランキングが爆上がったものの、たった数日で失墜した。  作者はなぜ、重要人物であるロザリーヌを消したのか。それを知るためにはまず、主人公アイリスと妹ロザリーヌの物語を紐解く必要がある。 ※  アイリス・フィルメリアは伯爵令嬢であり、王太子の婚約者でもある。決して社交界での地位は高くない家格の伯爵家だが、アイリスには生まれつき、希少な属性の魔力が備わっており、幼少期より王太子の許嫁として育ったのだ。  アイリスの魔力は、命を生み出し育む創造の力。  彼女がこの世に生を受けた朝、伯爵邸の庭は真っ白な雪に覆われていた。けれど、彼女の産声が凍りついた冬の空気を揺らした瞬間、分厚い積雪を破り、春夏秋冬の花々が咲き始めた。  この世の全ての色を集めたかのような(いろどり)に溢れ、草花の鮮烈な芳香が漂う庭の様子はさながら、神のおわす楽園のようだったという。  そんなアイリスには、三歳年下の実妹がいる。後に、物語の悪役となるロザリーヌだ。  ロザリーヌが生まれた日も、冬だった。彼女の産声が屋敷を震撼させた翌朝に、伯爵邸の庭には季節外れの薔薇が咲いた。けれどこれは、ロザリーヌの魔力が引き起こしたことではない。薔薇のように美しく愛らしい妹の誕生を祝福したアイリスの心が生み出した花だったのだ。  二人は、大変仲の良い姉妹だった。  ロザリーヌは姉を慕い、何でも真似をしたがり同じものを欲しがった。また、アイリスの方もそんな妹を可愛がり、ロザリーヌが欲しがるものは何でも分け与えてきた。  そう、たった一つしかないものを奪い合うあの時までは。 「お姉様。私にそのネックレスをください」  ロザリーヌの濃緑色の瞳が見つめるのは、姉アイリスの鎖骨辺りで煌めくアメジストの首飾り。アイリスの婚約者である王太子から贈られた品だ。  当然アイリスは、拒絶した。 「だめよ。いくらローズのお願いだって、これはあげられない。それに、あなたの華やかな金色の巻毛や明るい濃緑色の瞳には、アメジストは似合わないわ」  太陽のような髪と生気溢れる夏草のような瞳を持つ華麗な妹ロザリーヌと、静寂に浸る夜のような黒髪と吸い込まれるかのような紫色の瞳を持つ神秘的なアイリス。姉妹の容姿は対照的だ。アイリスの言う通り、ロザリーヌにアメジストは映えないだろう。  けれど、ロザリーヌは引かなかった。彼女はあろうことか、姉の部屋からネックレスを盗み出して秘密裏に処分した。さらに、姉の婚約者である王太子に近づいて、その心を奪ってしまったのだ。 「ロザリーヌが殿下に色目を使ったのだわ!」  怒りに駆られたアイリスはとある夜会にて、衆目に気を配ることもなく、半狂乱になり訴えた。元々は物静かで内向的だったアイリスの豹変とあまりの罵倒ぶりに、周囲は眉を顰め、むしろロザリーヌを擁護する噂話が広まった。 「何を根拠に妹を()(ざま)に言うのかしら」 「ロザリーヌの方が美人だから嫉妬しているのよ」 「未来の王妃があんな癇癪持ちだなんて」 「あんな女、王太子殿下には相応しくない。いえ、むしろ」  ——ロザリーヌが王太子殿下の婚約者になるべきよ。  かくして、社交界での評判が失墜し、後ろ指を指されることになったアイリスは次第に精神を病む。健やかではない者は、次期国王の妻にはなれない。やがてアイリスは王太子から婚約破棄を言い渡されて、代わりにロザリーヌが未来の王妃の座を手に入れた。  ロザリーヌの完全なる勝利。誰もがそう思うことだろう。  ……けれど、ロザリーヌは不幸せだった。なぜなら彼女は、他の誰よりも姉の幸福を願っていたからだ。  魔法においては平凡と思われていたロザリーヌだが、実は生まれつき、ある一部においては姉よりも魔力が強かった。ロザリーヌには、人の負の感情が(もや)となって見えるのだ。  それゆえ、姉に送られる品々や提供される食事に灰色の粒子が纏わりついているのを目にし、摂取を重ねれば毒となる物質が仕込まれていると気づくことができた。つまり、ロザリーヌがアイリスの物を欲しがったのは、敬愛する姉を危険から守るためだった。  毒物はもっぱら、王太子からの贈り物に含まれていた。王太子は表ではよき婚約者を演じつつも、気の置けない仲間内では、貞淑で真面目な印象のアイリスのことを「堅苦しい」と貶し、将来の結婚を嘆いていたのだ。  アイリスは王太子を心から慕っていたので、毒のことを知れば悲しむだろう。ロザリーヌはあえて、アイリスに真相を告げず、ただ姉の所有物を奪いたがる強欲な妹と見られてでも、献身的に姉妹愛を貫いた。  けれど、真実など何も知らないアイリスだ。慈しんできた妹に裏切られた心理的衝撃から、心の均衡を崩して臥せりがちとなってしまう。  アイリスはロザリーヌと距離を置き、療養のために保養地を訪れ、やがて運命は動き始めた。  アイリスは保養地にて、留学に来ていた隣国の王子と偶然出会う。アイリスはその魔力を使い、王子の滞在期間中に仲を深めた。というのも、王子の国は砂漠だらけで作物が育たない不毛の国土を持ち、命を生み出し育むアイリスの魔力はたいそう魅力的に見たのだ。さらに、過酷な環境下で暮らす王子の国には気が強い女性が多く、物静かなアイリスの所作は、とても新鮮で好ましく思えたのだろう。  二人は必然のように恋に落ち、正式に婚約者することになる。  気力を取り戻したアイリスはやがて、自身を貶めようとした妹と元婚約者へと、過激な復讐をたたみかけるのである。  そして時が経ち、霧雨がけぶる初夏。アイリスに追い詰められたロザリーヌは処刑台に立っていた。己の首を括る縄を掴み、彼女は世界に向けて呪いの言葉を吐いた。  負の感情が見えるという特殊な魔力を持つがゆえ、ロザリーヌは自分の口から飛び出した灰色の靄を目の当たりにした。するとどうしたことか、その靄は天へと昇り、一点へと集結しているではないか。  やがてロザリーヌは、悪意の靄が集まる天の中央に、人の運命を自在に書き換えることができる神が存在することに気づいた。  神の周囲には、この世界で繰り広げられる物語の成り行きを見守る人々がいる。神は、見物人らの中に巣食う、残酷な展開や復讐を歓喜する心、つまり負の感情を集めているようなのだ。  どうやらその感情は「ぺーじびゅー」や「ぽいんと」となり、「らんきんぐ」が上がると人気者になれるらしい。  見物人から負の感情を収集するために、ロザリーヌとアイリスは仲違いして、不幸になったというわけだ。  全てを悟り、ロザリーヌは決心した。自分こそが神になる。そうして、世界を変えるのだ。  かくして、真なる創造神の存在に気づいた直後に処刑されたロザリーヌは、作者——神へと転生したのである。 ※ 「さようなら、ロザリーヌ・フィルメリア」  深夜のワンルーム。パソコンの画面が放つ光に照らされて、女の顔がぼんやりと白く浮かび上がる。かつてロザリーヌであった作者は薄暗い部屋の中で、荒れるコメント欄を眺めていた。  転生して処刑エンドを回避する物語はお約束通りだけれど、そこに至るまでの道筋は前途多難。令嬢ロザリーヌには文才がないので、目の前の物語を破滅回避版に書き変えることは至難の業だ。  それならば、いっそのこと消してしまえばいい。  アイリスにあれだけの復讐をされたのだから、正直あちらの世界には絶望した。ロザリーヌとしての人生に未練はない。それよりも、近代的で暮らしやすいこの日本で、新たな人生を歩む方がいい。  だから彼女は、小説を書き変えて破滅フラグを折るのではなく、ロザリーヌを丸ごと消し去った。  存在が消える前、処刑されたロザリーヌは死の間際まで姉を慕っていたが、同時に恨んでもいた。ロザリーヌを失った姉アイリスは、王太子が仕込んだ毒で弱ってしまうかもしれないし、自分で真実に気づいて破滅回避をするかもしれない。  姉を愛している。けれど憎い。愛憎入り乱れる感情の中、アイリスの未来について、どちらの結末も導くつもりはない。そもそもロザリーヌは物語の舞台からもう降りた。彼女は作者であり、ロザリーヌなどではないのだ。  だから、アイリスがどうなろうと知ったことではない。  ——さようならロザリーヌ。これがあなたを消した理由なの。悪役令嬢はもう、ご遠慮します。  彼女がパソコンを閉じると、世界は暗闇に満たされた。 <完>
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