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機関士は蒸気機関車を操縦するために法規や物理、もちろん機械の仕組みを理解し、いくつもの計器類を読みながらレバーとハンドルを全手動で操作する職人的技術を有した頭脳労働者であり、我が子のような愛機のためには煤や油にまみれることも厭わない、肉体労働者でもある。
現代においても鉄道の運転士は子ども達の憧れの職業だが、省線時代の機関士は社会的にも待遇的にも駅長と同格のエリートであった。
しかしこの頃は、熟練した運転士が徴兵された事により旧制中学を卒業したばかりの少年が短期間の訓練でその職に就いたため、彼のような若い機関士も珍しくなかった。
一方の機関助士は、機関士にとってなくてはならない阿吽の呼吸の相棒である。昔から尋常(国民)小学校を卒業したばかりで手職の仕事に就いた少年達が、雇員に昇格できる数少ない機会の一つでもあった。
ちなみに敷島はその狭き門を経て月給制の駅務掛となった。その短気癖と口の悪さにも関わらず、小宮駅の手職達ーー徴兵対象から漏れた、この道数十年のベテラン構内手や貨物手、女性の方が多い保線手、国民学校を卒業したての見習いなど、昇給の見込みも保障もない日払い待遇とギリギリの人数で駅の現場作業を支える人々ーーからは希望の星として慕われているのである(※)
今日の8851号の助士はやはり徴兵の対象外の年配者であるが、この時代の機関士と機関助士は「三五歳コンビ」と呼ばれていた。「三五歳が二人」ではなく機関士が「二人の年齢を足して三五歳」という意味である。
※戦後、国の直営から国鉄(公社)に事業が移管されると労働運動により手職は廃止され、全員が正規雇用の「掛」となった。
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