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おぼんの上には山盛りのごはんと、お漬物に味噌汁。おばあさんの手にした懐中電灯の光の中に、おわんから立ちのぼる湯気がゆれていた。
「あの……」
「腹が鳴ってたろう。耳はいいんだよ」
僕たちの顔を見ておばあさんは笑った。しわにまぎれた口もとがキュッと上がる。
「子供二人で野宿しようってんだから、それなりのわけがあるんだろう。なにも言わなくていい」
蚊取り線香に火をつけるとおばあさんは帰っていった。卓上ランプの黄色みがかった弱いあかりが、おぼんのわきにたたまれたうすい水色と花柄のタオルケット二枚を照らす。このあたりは朝が冷えるから、と置いていってくれたのだ。
緑の渦巻きから上る煙が納屋の空気と味噌汁の香りと混じりあう。深山のおじいちゃんの家も、こんな匂いがした。
おぼんにのせた食器とお箸を玄関先に置く。蚊遣り器に積もった灰は吹き飛ばして手のひらでぬぐった。タオルケットはできるだけ丁寧にたたんだ。閉まった扉に長いお辞儀をして出発した。
うっすらと空の白く透ける朝。山の頂上から太陽が顔を出す前に、僕たちの三日目は始まった。
あるかないかの上りの角度に足を取られて満足に進めない。ひとつペダルを踏むたびに気合いを入れて立ちこぎをくり返し、ようやくホイールがゆれなくなった。
「なんかお姉さんと雰囲気が似てたな、あのおばあさん」
「孫とおばあちゃんだったりして」
そりゃないだろう、と軽い合いの手が入る。声が明るい。
「親切な人っているんだな。俺、大人って嫌なやつばかりだと思ってた」
のろのろと止まるようなスピードでも、足を動かしている限りは前に出る。さっきから道の先に掲げられている標識が気になって、僕の目は釘づけだ。
「あの看板」
「ようこそ鹿児島へ、か。本当にようこそだな」
白地に青の文字で書かれた歓迎のメッセージの下には、「深山市街14km」の案内板。本当に来たんだ、深山に。
「県境が峠の頂上とはな。やってくれるぜ、鹿児島けええええん」
ひと足先に下り坂にさしかかった竹宮の雄叫びを追いかけて、僕も急降下する。真っ正面から顔に襲いかかる空気のかたまりがメガネ越しに目を乾かす。ぼやける視界に竹宮の背中はすでにない。速いな。
帽子から垂らしたタオルが、ちぎれそうなほどはためく。頬を打つ空気は涼しいを通りこして、夏なのに冷たい。手にも足にもおなかにも、風がびゅうびゅうと通りぬける。長い距離をひとこぎもせずに進む。ホイールにブレーキの当たる高い音が木々のあいまに反響した。大きく右に曲がるカーブで目いっぱい体を傾け、山を駆けおりた。
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