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やがてびっしりとならんだ背の高い木がへり、ぽつりぽつりと民家が顔を出す。坂もなだらかに変わる。そろそろ下りも終わりなのかと思っていたら、すぽんと広い場所に放り出された。隣から山が消え、田んぼが僕を迎えた。広くて、ひと目で見渡すことができないほどだ。まるで緑の海。
そろった稲の葉先がゆれるたび、銀に光る波が僕へと打ち寄せた。鼻先をかすめただけで、懐かしさをゆさぶる匂いが風にのる。
田んぼに見とれて、前を行く相棒の存在を忘れていた。危うく、自転車を止めて田んぼを見晴らす竹宮にぶつかるところだった。僕が追いついたことに気がつくと、サドルから降りて緑の群れへとむかっていく。この旅で初めてのことだ。わざわざ立ち止まって景色を見るなんて。
「なんか、田んぼが違うな」
「葉っぱが光ってるね」
鋭く白い朝日を、やわらかな光に変えてかがやく緑の葉。風が吹くたびに耳に優しい音を残して銀の波がうねる。波のかなたには長く横たわる山。前も右も左も、そして後ろもすべての方向が緑の濃い山だった。空気が澄んでいるせいか、遠いはずの山までもがくっきりと黒い。
「あの山、越えて来たんだよね」
パチンと機嫌よく竹宮の指が鳴る。
「そっか。だから田んぼが違うんじゃないか。ほら、自分の足で苦労して登った山ほど、頂上からの景色に感動するって言うだろ」
「ねえ、変な解説しないほうが味わい深くない?」
僕のひと言に軽く噴き出すとうつむいた。すっかり日に焼けてもとの色の失せた鼻の頭を、にやにや笑ってかいている。そうだな、とつぶやいて上げた顔は、さっぱりとした笑みに変わっていた。
「あー、この景色、写真に残したかったなあ。駅にスマホ放りこんできたの、本気で後悔してるよ」
「僕、お守りを買ったときのこと、よく思い出すんだ」
「カバンにぶらさげてるやつか」
声を出さずにうなずき、田んぼに目を留めたまま幼い記憶のかけらをならべた。
「お祭りだったのかな。ものすごくたくさんの人がいて、石畳の両脇にはやっぱりたくさんの屋台があって……。でも、どんなお店があったとか、なにを食べたとかは、全然覚えてないんだ。そのかわり、お父さんに肩車してもらったことはすぐにうかんでくる。夕方でも真っ青だった空や、暑かった日ざし。汗がどんどん出てきたこと。お父さんの頭も汗でちょっとくさかったこと。そんなときに吹いた風が気持ちよかったこと。忘れようたって、忘れられない」
稲をなでた風が、熱くなった僕のまぶたを冷やしてくれる。
「そっか。俺もこの景色、忘れないと思う」
「きれいだよね」
「ああ。来てよかった。よっしゃ、あとはじいちゃんちにまっしぐらだ」
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