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「………。」
僕は唾を呑み、ただ無言で象から葡萄を受け取った。
そして、くるりと僕のくじらへ顔を向け、言葉を掛けようとする。
くじらはもう既に動いていた。
僕のくじらが、ぴょんっと夜空に跳ね上がり、藤色の花びらの垂れ下がる闇の中へと空中遊泳を開始する。そしてあっという間に、目当ての贈り物をもぎとり、器用に背中に乗せて降りてきた。
————淡い黄色のスターフルーツ。
灰色のくじらは、その果物を上手く背中で転がした。そしてヒレの上に移動させると、ちょい、と〈向こう側〉にそれを突っ込んで少女に渡す。
少女は息をつめた様子でそれを受け取った。
これにて、果物交換の儀式は終わった。
僕と少女は、お互いにお辞儀をしてお礼を言い合った。
「……ありがとうございます。」
「いえいえ……こちらこそ。ありがとうございました。」
〈こちら側〉のくじらと、〈向こう側〉の象が、鼻やらヒレやらをパタパタさせて喜んでいる。
名残を惜しむ間に、闇夜に現れた天窓がゆっくりと溶け、輪郭をうっすらと弱めて消えていった。
最後に……バタン、と。
窓が閉まる音だけが、乾いた夜に響いて聞こえてきた。
僕は無言で、手元を見下ろす。
くじらも一緒に見下ろした。
贈り物の葡萄が一房。
みずみずしい美しさ。鮮やかな絵の具で彩ったような輝き。キラキラと新鮮なこの果物は、夜露に濡れてよく冷えている。
「……食べないよ。悪いけどね。」
僕は、物欲しそうにじっとこちらを見つめるくじらへ、そう言って笑った。
「そりゃあ、お腹はすいてるけど。でも……」
非難がましい視線から僕は逃げず、灰色のくじらを抱き抱えてその温もりを欲しいままにした。こうして腕の中に抱えて目を合わせれば、言葉で語らずとも僕たちは通じ合う。
……この葡萄を食べたなら。
体の方は満腹になるかもしれないけれど。でも、食べてしまって、全部なくなって……そうしたら、きっと寂しい。別のお腹が……〈記憶の倉庫〉という名のお腹が、空いてくる。
目の前の果物。持っているだけで、少女たちとの思い出が鮮やかに蘇る。これが消えたら、僕は哀しい。空っぽな気分。
……でも、もしも。
この葡萄を食べなかったなら。
そうすれば、僕はぐるぐる鳴る空きっ腹を抱えているけれど、もう一つのお腹は満腹だ。だって……そうだろう。……ほら。くじら、きみも、同じことを思うだろう?
灰色のくじらのぬいぐるみは、口をとんがらせてそっぽを向いた。
僕は笑って、くじらを元通り肩に乗せた。
ふっと、空を見上げる。美しい夜をじっと眺め続け……僕は目を瞑る。
再び目を開いた時、僕は思い出したように机の上の辞書へ手を伸ばし、ペラリとどこかのページを開く。意味もなく単語へ指を這わせ、吟味する。
天上には、墨色の空に、白い月。銀の星くず。
その一段下の階層には、藤色の、花あかり。
もう一段下の階層で、空きっ腹を抱えた僕は勉強机に向かっている。
しんしんと夜は更けていった。
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