罪悪感の会 ~恥ずかしがり屋で胃袋ブラックホールなふたりの話~

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罪悪感の会 ~恥ずかしがり屋で胃袋ブラックホールなふたりの話~

 少し古めかしい飲食店の前に、緊張顔のふたりが並ぶ。背の高いほうは自分の胸の前で両手を握り、決意の眼差しをもう片方に向ける。三つ編みのほうは背の高いほうを見上げ、強張った顔で深く頷く。ふたりは同時に唾を飲みこみ、入店した。  ふたりの前にどんぶりがひとつずつ並ぶ。ご飯の上に山のように盛られた豚肉。それを覆う雪崩のようなチーズ。頂上には大きくカットされたバター。ふたりは目尻に力を入れ、同時に宣言した。 「……いただ、きます」  ふたりは無言で箸を動かす。濃いチーズとバターの塩気。それを掻きみだす豚の脂身。半分ほどを食べてから、ふたりは同時に声を発した。 「おいっしーいっ!」  背の高いほう――高音(たかね)はきらめくバターをうっとりと見つめる。 「バターがすごく効いているわ……油っこくて塩気もすごくて、罪の塊って感じがもう……」  三つ編みのほう――さとは、積雪のようなチーズを愛しむように眺める。 「私はこのチーズすごく好きです。甘みがあってすっごく癖になっちゃう」 「豚肉も脂だらけで、すっごくイケナイ気持ちだわ……」 「ご飯もこってり味ついてて、何だかゾクッとしちゃいます」  ふたりの内側にドロドロした快感が溢れてゆく。  ふたりは月に一度集まって食事をしている。食べるのはテカテカ光るほど油っこいもの、くどいほど甘いもの、うんざりするほど味の濃いもの。ふたりはいつしかこの、日ごろのダイエットを台なしにする悪魔的料理――ふたりにとっては罪の味になるもの――を食べる集まりを、「罪悪感の会」と呼んでいた。  ふたりは大盛りのどんぶりを完食し、箸休めのアイスを注文する。デザートを堪能しながら雑談タイムに。先に口を開いたのは高音だ。高音は大きな身体を丸め、小さな声で喋る。 「ずっと思ってたんだけど、メイドさんのお洋服って動きづらそうよね……。さとちゃんのメイド服はロングスカートでしょう? なおさら動きづらそうだわ……」 「気にならないですよ。短かいほうが困るかな、と思いますし。高音さんのお仕事のお洋服はどうですか?」 「執事服は後ろが長いから、最初はドアに挟んじゃったわ。最近は大丈夫になったけど……」  ふたりの職場は別々だが、それぞれ似たような仕事をしている。さとはメイド。高音は執事。ふたりはそのまま仕事に関係した話を続ける。 「さとちゃんはご主人さまと最近どう? 何か楽しいこととかあった……?」 「燈次(とうじ)さまは最近新しいネクタイを買ったのに1日で汚しちゃって。でも私が洗ったらちゃんと落ちて、ありがとうって言ってもらえました」 「誉めてもらえてよかったわね。さとちゃんは燈次さまのこと大好きだものね」  さとは嬉しそうに頬を緩ませた後、愛らしく小首を傾げる。頭の動きにあわせて三つ編みがゆらりと揺れる。 「高音さんはそういうお話ないんですか?」 「というと?」 「高音さんって幹彦(みきひこ)さんのことをよく話してますけど、もしかして幹彦さんと高音さんってつきあってるんですか?」  高音は困ったように笑う。 「さとちゃんはすぐそういうこと言うんだから。幹彦くんはただの仕事仲間。ただの執事仲間よ……」 「そうなんですか? この間会ったとき、高音さんすごく幹彦さんを誉めてました」 「何のことだったかしら……」 「幹彦さんに高いところの物を取ってもらって嬉しかったって」 「ワタシのが背は高いのに、幹彦は何故かワタシの代わりに高いところの物を取ってくれるのよ。不思議よね……」 「もしかして幹彦さんって、高音さんのことが!」 「違う違う。幹彦くんは、人に親切にするのが好きってだけよ……。ちょっと、何でそんなにニヤニヤするの」 「高音さんは会うたびに幹彦くんのこと褒めてます」 「そんなことないわよ。そうだ聞いて。この間ね、幹彦くんったらワタシのズボンに両足入れて遊んでたの……。ワタシの背が高いからズボンも太いってだけなのに。すごく恥ずかしかったわ……」  さとは心底悲しそうな顔になった。 「ひどい。それは本当にひどすぎます!」 「そんな顔しないで。彼は純粋にワタシと遊びたかっただけだと思うわ。ワタシを傷つけるつもりはなかったのよ」 「でもでも」 「いいの。そういうのはホラ、食べて忘れちゃいましょっ……」  次に運ばれてきたのは山盛りの骨つきチキン。ふたりは小皿の上で、箸を使ってひと口サイズに肉を分ける。てらてらと輝く分厚い衣に箸を刺すと、中からどっぷりと肉汁があふれだす。唾を飲みこみ、ふたりは肉を食べはじめる。  半分ほど食べた後で、ふたりは会話を再開する。喋りだしたのはさとが先だ。 「失礼で言えばですね。燈次さまが」 「彼がどうしたの」 「私が作ったお料理残して、お菓子食べてたんです」 「せっかく作ったのにね」 「しかも! そのお菓子、燈次さまが自分で買ったんですけどね。どうして買ったと思います?」 「理由があるの?」 「おセクシーな店員さんが売ってたから、ですって」 「ああ……やだあ……。それで言えば幹彦くんもこの間……」  ふたりはグチグチとお互いの不満をぶち撒ける。気づくとふたりは骨つき肉を小分けする作業をやめ、手に持って直接かぶりついていた。ふたりは同時にそれに気づき、慌てて周囲を見回す。ふたりとも、大胆な食べ方を誰かに見られるのが嫌だった。  ふたりの他に客はひと組。中年男性の4人組だ。中年男性らは会話に夢中でふたりのワイルドな食べ方に気づいていない。ふたりは安堵の息を吐いた。  中年男性も職場の愚痴を交わしあっている。こちらはあまり口調が綺麗ではない。「オレんとこの職場はゴミ箱みてぇなしょうもねぇクソ職場でよぉ」「俺んとこのがひでぇぜ。便所以下だよ。どうしようもねぇ無能ばっかりでよぉ」会話を聞いていたふたりは少し嫌な気持ちになった。そしてすぐに、自分たちの愚痴も似たようなものじゃないかと思った。  先に口を開いたのは高音だ。 「幹彦くんは空気が読めないけど、優しいのよ。ワタシが夜にひとりでコンビニ行こうとすると、いつも一緒に来てくれるの……」 「高音さん暗いの苦手ですもんね。燈次さまは私の代わりにジャムの瓶開けてくれます。私が力入れすぎて瓶を割っちゃったら、私が怪我しないようにって、代わりに開けてくれるようになって」 「素敵ね……」 「幹彦さんも素敵です」 「ありがと」  何となくほっこりしたところで、そろそろ帰ろうかという空気になった。食事も会話も堪能した。ふたりは財布を出し、残金を確認する。  先に息を呑んだのは高音のほうだった。何度も財布の中をくまなくチェックし、鞄の中も隅々まで漁る。そして恐々と言った。 「お金入れてくるの忘れちゃった」 「足りないんですか?」 「ええ。でもワタシ、クレジットカードは持ち歩かないのよね……」 「ペイペイとかは」 「チャージしてない……」 「私はお金ありますけど」  そう言ってさとが財布から出したのは1円玉4枚と10円玉1枚だけだった。 「ペイペイは……」 「ありますよ。7円」  ふたりは絶句した。1分ほど押し黙った後、高音は壁に貼られたポスターを指さした。さとが書かれた文字を読む。 「超絶鬼盛りどんぶり……完食したら今日の合計金額が丸々無料?」 「さとちゃん、まだお腹に余裕あったりする……?」 「総重量3キロって書いてありますけどこれ」 「でも食べればタダよ」 「でも」  ふたりは視線でお互いの様子をチェックしている。口には出さないが、ふたりとも相手の思考を理解していた。  実を言えばどちらも「ちょっとがんばれば食べれる気がする」と思っている。だがそれを言うのが恥ずかしくて黙っているのだ。  しかし背に腹は代えられない。ふたりは超絶鬼盛りどんぶりをひとつずつ注文した。トンカツとカレーと餃子とオムレツとハンバーグとチキンライスの上に、チーズと塩の塊とバターの塊が乗った料理だった。  ふた口ほど食べたとき、店内に新たな客が訪れた。その客を見るなり、ふたりはヒッと喉の奥で悲鳴を上げた。  ふたり組の客だった。片方は赤みを帯びた目の男。もう片方は腕に豪華な時計をつけた男。それはどう見ても、高音と同じ職場で働く執事の幹彦(みきひこ)と、さとのご主人さまの燈次(とうじ)だった。  高音とさとは椅子から立ちあがり、鬼盛りどんぶりが幹彦たちから隠れるように不自然な位置に立つ。何してんだと燈次が質問しても、高音とさとはヘラヘラ笑ってごまかす。  本来なら、金欠状態のときに知りあいと会ったら、救世主だと思って歓喜することだろう。だが今ふたりが開催しているのは「罪悪感の会」。ふたりにとっては誰にも知られたくない秘密の会合だ。ましてや鬼盛りどんぶりという、背徳中の背徳と呼びたくなる料理を頼んでいることは、悟られたくもない。  幹彦は無邪気に、高音の背後を覗きこもうとしている。  万事休すだ。足止めの方法は何かないか。高音は必死に思考を巡らせ、咄嗟に叫んだ。 「あっ、UFO!」  窓の外を指さすと、幹彦と燈次は反射的に外を見た。幹彦は窓に駆け寄り、身を乗りだして外を確認する。そして不満そうに「何も見つからない!」と訴える。彼がこちらを向こうとするので、高音は大慌てで言葉を続けた。 「駄目、もっと外見て。ずっと……。そしたら絶対見えるからっ……」 「本当?」 「見続けて。10分……いや、30分くらい」  幹彦は首を捻りながら窓際の席に着く。燈次は肩をすくめ、幹彦の正面に着席する。燈次は幹彦が高音たちのほうを向きそうになるとフォローを入れる。 「幹彦、目を反らしては駄目だ。今はUFOが見えなくても、熱心に見続けることで暗闇に目が慣れ、見つけられるようになる」 「見つけたら、みんなボクを褒めてくれるだろうか」 「もちろん。見つけてくれてありがとう、幹彦は親切で素晴らしい人だ、と誰もが口にするだろう」 「褒められたい。今はまばたきも惜しい!」 「俺も空を見るとしよう。具体的には、さとと高音さんが料理を食べ終わるくらいまで」  高音は顔を赤らめた。燈次にバレバレなことが分かったからだ。だが高音は「とりあえず幹彦くんにバレてないならいい」とひそかに思った。その後でさとが心配になって見たが、さとは無邪気に「UFOさん私も見たいです!」とはしゃいでいた。 「UFOは幹彦くんたちが見つけて教えてくれるわ、さとちゃん。ワタシたちは食べることに集中しましょう」  さとは元気よく返事をする。 「はいっ!」  ふたりは急ぎぎみで鬼盛りどんぶりを食べる。と言っても、ふたりとも食べるペースは基本遅い。早食いのできるタイプではないのだ。  結局、50分かけて両者ともに完食した。その間ずっと幹彦と燈次は外を見ていた。高音は申し訳ない気持ちになった。  波乱の「罪悪感の会」は幕を閉じた。高音は恥ずかしさでいっぱいだった。  さとは満足そうにニコニコしていた。「来月の罪悪感の会はスイーツ食べ放題にしたいです」なんてのんきに言っている。でも高音はこんな思いはもう二度としたくない。  だから今度は、周りの人のスケジュールを確認してから日程と場所を決めようと誓った。  中止なんてしない。だって、食べたいから。お腹いっぱい。
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