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3 試験前
試験まで、書店の手伝いをすると申し出たが田さんは試験に集中しなさいと、対策の書物をたくさん貸してくれた。これだけ親切にしてもらったからには、試験でいい結果を出して何か恩返しをしないといけないなと勉強をがんばることにした。
試験当日、早起きして名医・華佗が開発した体操を庭先で行っていると田さんがやってきた。
「早いね。おや五禽戯をやっているのかい?」
「ええ。父と朝によくやってました」
「懐かしいね。わしも若いころ周孝とやっていたころはもっと腹が引っ込んでいたものだ」
わははと笑って田さんは猿の動きを見せてくれた。
「おじさまもお上手ですね。おばさまと一緒にされるといいですよ」
「んー。それもいいかもしれんなあ」
緊張する朝のはずが、のんびりとゆったり過ごすことが出来た。朝げを食べて少しばかりの書物と小銭を包み支度をする。
「翠玉や。ほらこれにお着替えなさい」
ふっくらした柔らかい笑顔を見せて、田夫人が部屋にやってきた。手には綺麗な緑色の着物を持っている。
「わあっ。綺麗な衣装……」
「試験とはいえ、女人だらけだものね。華美ではなくとも見栄え良くはしておかないと」
夫人はさっと緑の着物を私の体に当てる。すんなりとした緑の衣装は清楚で、艶やかで美しい。
「こんな上等な物……」
「急いで用意したからどうかと思ったけどよく似合うわ」
「で、でも」
「ほらほら、着替えて。昔、試験は最高得点だったけど見栄えが悪くて、いい採用をされなかったって話もあるものね」
「ええ、確かに」
「あなたの着ていた衣服が悪いのではないのよ。ちょっと質素で古いから。都では何かと対面を気にするからね」
田夫人は私に気遣いながら控えめに話す。
「いえ。ありがとうございます。こんなことには気が回らなかったし、回ったからってどうにもできませんでしたから」
「いいのいいの」
ますます、試験でいい結果を出さねばと心に決める。
「あらあら、気にしないのよ。ほら私たち夫婦には子どもがいないから、してあげられるのがうれしくてね」
難しい顔をしているだろう私に田夫人は優しい笑顔を見せる。
「さ、お仕度して。あとで髪も結ってあげますからね」
「謝謝!」
私は感謝でいっぱいになって、急ぎ着物を着換えた。
田夫婦に見送られて試験会場に向かう。会場は宮殿の外の学堂で行われる。都は区画整理され、会場まで道のりは一度右に曲がるだけで、難しくなく遠くもなかった。
「この角を曲がってすぐね」
ちらほらと試験を受けるのであろう、同じくらいの年頃の娘たちが手に包みをもって同じ方向へ向かっている。女官を目指すとは思えないほど、皆、煌びやかで麗しい。
「おばさまのおかげで恥ずかしい思いをしなくてすみそうね」
田舎者の私が、着てきたみすぼらしい着物のまま試験会場に赴いたら、きっと気後れして試験に集中できないだろう。ほっとしながら、そろそろかなときょろきょろしていると道の陰で誰かうずくまっているのが見えた。
「あの、もしもし。どうかしましたか?」
声を掛けるとその人は顔をあげてこっちを見上げた。眉間にしわを寄せて歪んでいるが美しい顔立ちの女人だった。
「大丈夫ですか?」
「あ、頭が痛くて……」
「えっと薬師のところへでも行きます?」
女人は顔を横に振る。
「家は近くだし、すぐおさまるから」
「でも……」
うずくまるほど頭が痛いってかなりな痛さではないだろうか。ちょっと放っておくのが気が引ける。
「試験を受けるのでは?」
「え、ええ」
「時間が無くなる。遅刻は絶対に許されないから」
まだ半刻(30分)はある。ゆっくりもできないが慌てることもない。
「じゃ、ちょっと失礼します」
私は女人の頭にそっと両掌を置き、優しくもむ。
「な、なにを」
「じっとしててください。頭痛に効くツボを押しますから」
「そ、そう」
女人は大人しく、私に頭を預ける。漆黒の髪は重く、上等の絹のようだった。しばらく揉むと「よくなってきた」と女人が笑顔を見せる。
「そう、ですか? 立てますか?」
「うん。あなたは医学の知識があるの?」
「いえ、あの、本で読んで、自分でも効果があったものですから」
「そうなのね。謝謝。さあ、あなたはお急ぎなさい」
ちょうどその時、残り一刻(15分)の合図の銅鑼が鳴った。
「じゃあ、これで。あなたも気をつけて」
手を振り会場のほうへ向かう。振り返るともう女人はいなかった。
「治ったのかな。それにしても都にはあんな美しい人が道端にいるものなのねえ」
ツボを押すのに夢中だったが、落ち着くと素晴らしく美しい女人だったと思い返す。
「いけないいけない。試験試験!」
さて、気持ちを切り替えて受付を済まし、試験会場へと向かった。
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