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一話:破壊王と錬金術師
弐本———
それは南北に細長い形をし、周囲を海に囲まれた列島である。
その地表の実に八割以上を山岳地帯で覆われた弐本列島では鉱業が盛んであり、列島中のあちらこちらの山には横穴が開けられ、その周辺に形成された村々からは常にもうもうと黒煙が立ち昇る……。
それが、弐本の原風景であった。
弐本はここ数年、単一の統治者が君臨していなかった。世はまさに戦国であり、複数の有力者が思い思いの国を造る、群雄割拠の時代であった。
そんな弐本列島の内の、ある一つの国。その国の中でも、有数の鉱山の中のことである。
「わぁ、すっごい綺麗な緑柱石!」
薄暗い坑道に屈みこんで、目を輝かせる青年がいた。
茶色い外套と大きな鞄を背負ったその青年は、独特な意匠に飾り付けられた虫眼鏡のレンズを通して、緑色の鉱石を手に持って観察している。
ぱっと見では男子か女子かも分からないような可憐な顔であるが、そんな顔は煤や蝙蝠の糞で汚れており、特徴的な真珠色の髪もボサボサにしてしまっていた。青年はそれこそ宝石のような眼で石を分析している。
(やっぱり闇雲鉱山に来て正解だった。目的の物は見つからなかったけど……ここには良質な鉱石がたくさん眠っている!)
青年は脇目もふらずに夢中でそこらへんの鉱石を拾っては舐めるように眺めていた。
と、そのとき、
『ゴゴゴ……』
坑道全体が、小刻みに揺れた。砂粒が降り、天井に留まっていた蝙蝠たちは蜘蛛の子を散らすように飛び去ってゆく。
(地鳴り、多いなぁ。少し怖いけど……ま、良質な鉱石が手に入るなら我慢しなくちゃな)
青年が親指と人差し指で摘まむ緑柱石は、直径数センチといった大きさで、つややかな深緑色をしている。その表面の一部には、青緑色の苔が繁茂していた。
(苔の生育も悪くない。坑道の湿度が高いからだ。健康な山だ、ここは)
それにしても……
(これ、すっごく美味しそうだ)
青年はキョロキョロと周囲を確認し、誰もこちらを見ていないことを確認すると、その緑柱石を鼻先まで持ち上げた。
青年がその形の良い口を開け、緑の石を口に入れようとする———
その、瞬間
『ドッガァァァァァァァァァン!!!!!!!!!』
「うわぁ! 何何何⁉」
洞窟の中であるというのに、まるで雷でも落っこちたと思うような轟音が鳴り響いた!
青年は衝撃で再び緑柱石を取り落としてしまう。それを拾おうとすると、今度は『ドドドドド』と断続的な地鳴りが聞こえてきた。
何事か、また地鳴りかと思い坑道の暗闇の方向を見れば、
「くそーっ! まーたやっちまったぁぁぁ!」
何やら見知らぬ男が、全速力といった感じでこちらに走ってきていた。ドスドスと駆けるその体躯は大きく、筋骨隆々な四肢と、何よりその背中に担いでいた大きな赤い鶴嘴が、男が鉱夫であることを示していた。
男は鬼気迫る表情で青年に叫ぶ。
「おいそこの! この穴はダメだ! 崩れる! 逃げるぞ!」
「えっ、わっと、誰⁉」
「んなこと気にしてる場合か! 生き埋めになるぞ!」
走ってくる男は有無を言わさぬ剣幕で叫ぶ。
そこで、青年はハッとした。
猪突の勢いで走ってくる男、その背後からドカドカと天井が崩れ落ちてきているではないか!
青年が困惑しているうちに、走ってきた男は、すれ違いざまに青年をひょいと担ぎ上げた。
「うわぁっ!」
「掴まってろ、振り落とされんな!」
男は青年を片腕に掴み、しかしその重さを感じていないかのような走りで、どんどんと速度を上げる。闇雲鉱山は人気の高い鉱山であり今日もたくさんの鉱夫がいたが、男は逃げ惑う鉱夫たちの誰よりも俊足だった。
崩れゆく坑道を背に、出口の光に向かって、男は一心不乱に駆けた。
「出るぜッ!」
男は一発叫ぶと、一際大きく踏み込んだ。
「わあぁぁぁっ!!!」
抱えられた青年は強く目を瞑った。その瞼の奥に明かりを感じる。次いで全身を覆う、猛烈な浮遊感。恐らく、自分を担いだ男が坑道を脱出すると同時に跳躍したのだ。人を背負ったまま、大した膂力である。
空中浮遊は数秒も続いた。予期していた着地の衝撃は、青年の予想よりずっと後になった。
「ホレ、降りな」
「わぁっ⁉」
男は背負っていた青年を乱暴に地面に投げ捨てる。
「痛いな、もう!」
「うっせぇな。助けてやったんだから、まず礼だろうが」
首をゴキリと鳴らす、眼前の男。屋外に出たことで、その顔はよく見ることができた。
太陽の下に照らされた男の顔は若く、大人というにはまだ早いという印象だった。ボサボサの黒髪は整えれば海王石のような美しい漆黒となるのだろうが、煤と汗に汚れており艶がない。しかし、その野性的な荒々しさがかえって男を大きく見せているようだった。
背には巨大な赤い鶴嘴を背負っていた。真珠髪の青年の体躯であれば持ち上げるのにも一苦労しそうな代物であったが、この筋骨隆々な男にとっては丁度良い得物なのだろう。
青年はとりあえず地面に投げ出されたことに抗議をしてから次の語を紡ごうとしたが、その口は絶句により封じられた。
黒髪、六尺はあろうかという長身、そして赤い鶴嘴。青年は男の特徴に覚えがあったのだ。
「あなたは、まさか、あの有名な———」
「全員動くなぁッ!」
野太い怒声が一帯に響き渡る。
青年は驚いて閉口し、周囲の状況をさっと確認する。坑道から出てすぐの場所は闇雲山の麓であり、扇状の草原が広がっていた。草原のあちこちには坑道から逃げ出してきたであろう鉱夫たちが十数人もいる。そしてそんな鉱夫たちを吐き出した坑道の入口は完全に崩落しており、今度はもうもうと土煙を吐き出している。
そして鉱夫たちの周囲には……
「我々は闇雲郡代である! 鉱山崩落の報を受け参った!」
甲冑に身を包んだ、闇雲国の治安組織・闇雲郡代が大勢いた。
その数ざっと三〇。草原の端から、鉱夫たちをぐるりと取り囲んでいる。
「大名様、包囲が完了しましてございます」
恐らく郡代長であろう、額に大きな傷のある郡代が、小高い丘の上で恭しく語り掛ける相手がいた。
「ふむ……ご苦労であった」
大名と呼ばれたのは、遠目にも美貌と分かる、長身の女であった。城から遠く離れた闇雲山であったが、袖の長い上等な着物を着ている。
「さて……我はこの闇雲国が大名、九竜である。総員、面を下げよ」
大名の声色には一切の情が無く、『逆らうものは切り捨てる』、そんな威容に満ち満ちていた。その一声に、辺りにいた者どもは冷や汗をかいて跪き、一斉に動きを止める。
しかしその中、平服する鉱夫たちの中、ただ一人膝をつかない者がいた。その者は大名に名指しされても怯むことなく、鋭い目つきで相手を睨み返していた。
「おい、面を下げよと聞こえなかったのか?」
「はぁ? 声が細くて聞こえなかったぜ。もっと声張れ。きょうび女大名たぁ珍しいな」
黒髪の若者が、大胆不敵に歯を剥き出しにする。
「貴様が主犯だな……ククク、その人相、知っているぞ」
地に伏していた青年はその男の横顔を見上げる。
その名は全国的に知られていた。荒っぽいが採掘師としては最上級の技術と勘を持ち、数多くの鉱脈を発見した功労者として。
そしてそれよりも———
ずっと多くの鉱山を破壊してきた無法者として。
「貴様、破壊徒・芥川アクタだな」
「俺を知ってんのか、姉さん」
芥川アクタ。稀代の採掘師にして破壊者その人であった。
「姉さんとは嬉しいねぇ、最近こいつらは我のことをばあさん呼ばわり、さ」
九竜は傍にいた郡代の鎧をピンッと弾く。
「年上を敬う精神は褒められたもんだが、坑道を崩しちまうっていうのはどういう了見だい? 芥川。あそこは我が国で一番質の良い石が出る場所だったんだがねぇ」
九竜は冷ややかな目つきでアクタを見下ろす。しかしアクタは余裕の笑みを崩さない。
「ハッ、軽く小突いただけでブッ崩れちまうような坑道が千両箱なのかよ? ずいぶん安心できない国だなぁ、闇雲は」
九竜は「ふむ」と少し考え込むような仕草をすると、側近の郡代に何やら耳打ちをする。そして何を決めたのか、着物の帯に差していた扇子を抜くと『バッ』と開く。
鳳凰の絵が描かれた扇はアクタを指していた。
「芥川、貴様の働いた罪は、我が国に歯向かう大罪である———総員、捉えよ。周りの鉱夫たちもまとめてな」
「!」
鶴の一声。それを合図に全方位から郡代たちが押し寄せる。膝をついていた鉱夫たちは咄嗟の出来事に抵抗できず、成す術なく抑えつけられてしまう。真珠髪の青年も例外でなく、郡代の一人に乱暴に顔を地面に押し付けられる。
その中で、
「随分と……乱暴なこったなぁ!」
ただ一人、郡代たちの猛攻に真っ向から逆らうのは、やはりアクタである。四方八方から迫ってくる郡代を見るや否や、その背負っていた鶴嘴を抜き放った。
(まさか、あの鶴嘴で戦うつもりか⁉ 無茶な!)
真珠髪の青年は心中に思った。
しかし、そこから繰り広げられた光景は、青年の予想を大きく超えるものだった。
アクタの鶴嘴はよく見れば、独特な構造をしていた。木製の柄には大小様々な歯車がくっついており、両嘴と柄を接続している丁字のところにも一際大きな歯車が備えられていた。
「変形しろ! ケンコン・ブレイドッ!!!」
アクタが柄の歯車の一つをガチャガチャと回すと、赤い鶴嘴は『ブシュゥゥゥ』と白煙を吐き、機構によりその形を変えてゆく。
両嘴は丁字の歯車を軸として柄を包むように折れ曲がり、その獰悪な刃を露わにした。
(鶴嘴が……両刃刀になった!)
「いくぜっ!」
アクタが鶴嘴———否、剣を『ジャキン!』と構える。日光を受ける刀身は深い赤の光を放っていた。
全方位から跳びかかってくる郡代に怯むどころか好戦的な笑みを浮かべて、アクタは剣を振るった。
「ッシャァァァ!」
一閃。アクタが身を躍らせて剣を振り抜く。
その瞬間!
『ズッガァァァァァン!!!』
「ぐわああああ!」
「野郎、地面ごと斬りやがった!」
「気をつけろ! 破壊徒の異名は伊達ではないぞ!」
アクタの剣戟は目の前の郡代の一人に向けて放たれたが、その周囲の者も諸共、さらには周囲一帯の大地すら吹き飛ばしてしまった。烈風一陣。草原は芋羊羹のように斜め切りにされる。
「破壊徒の名、その身に刻みやがれ!」
深紅の剣と鍛え抜かれた四肢を存分に振るい、アクタはバッタバッタと敵をなぎ倒す。
青年は目を見張った。アクタの暴れようはまさに鬼神のようであり、警棒や弐本刀を持った郡代たちと単身で渡り合っている。戦力差などものともしない、圧倒的な強さだった。
躍動する筋肉の至るところに古傷を抱えていることからも、アクタが潜ってきた死線の数が分かる。
そして、それだけ傷をこさえながらも、その顔にはかすり傷一つの痕も無い。それこそがアクタの強さの何よりの証拠だった。
「ふむふむ、流石に暴れ慣れていることだけはあるな……おい!」
「はっ」
郡代たちが赤子のようにぶっ飛ばされていく様子を眺め、九竜は郡代長に命じる。郡代長は短く返事をすると、その背からズルリと、大弓を抜き放った。
そしてそれを引き絞ると、アクタに向かってヒュッと射る。
矢はアクタに向かって一直線である。鷹のように素早いそれは風を切るが、その矢尻がアクタの皮膚を貫くことは叶わなかった。
「遅ぇ!」
アクタはあろうことか、飛んで来る矢が顔面に刺さる直前で握って止めてみせた。およそ常人に成せる技ではなかった。
「その程度、やってのけると思ったよ」
超人技を見せつけられてもしかし、九竜は冷静である。
「芥川アクタ! 気をつけて!」
一足先に敵の狙いに気が付いた青年が叫ぶ。アクタは得意げな笑みを納め、周囲を鋭く一瞥した。
いつの間にかアクタから距離を置いていた郡代たちが、全方位から弓を構えている。
「ちぃっ」
「射れ」
またも九竜の一声で、すべての方向から矢が撃ち込まれる。アクタは跳躍して空中に身を翻し数本の矢を叩き斬ったが、それでも十本近くの矢をすべて防ぐことは不可能だった。弾き損ねた数本が、アクタの肩、腕、腹、腿に突き刺さる。
「ぐぁぁぁぁっ!」
アクタは堪らず倒れ込んだ。全身の至るところから血を流し、それでも戦意を失わずに敵を睨みつける。が、膝がガクガクと震え立つことすらままならない。
「くそ……眠り薬とは、卑怯、な———」
ついには九竜を睨む眼光すら潰え、アクタは大地に倒れた。
「鉱夫たちを全員捕らえて牢に入れておけ。沙汰は今夜にでも出そうぞ」
「はっ」
九竜は長髪を涼やかに払い、鳳凰柄の扇子を畳んだ。睥睨する先では、郡代たちが鉱夫を縛り上げて運んでいるところだった。
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