それはもういらない

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 店の外は霧のような小雨模様。  男は誰に言われるでもなく細い路地の、そのまたビルの隙間へ入り込む。  人目に付かない奥まった街の影に少女は佇んでいた。  鳥籠のなかで蒼い炎が揺らめき、男が薄ら笑みを崩して片頬を歪める。 「鳥籠の中身は、ああ、あのときの頭に残っていた(たましい)か。在り方が半ばまで癒着しているな。ふたつで在りながらひとつのようで、ひとつで在ろうとしながらそうなり切れてもいない。ただの人間がすればなるのだ。少し見ないうちにずいぶんと(いびつ)な化け物に成り果ててしまったじゃないか」  フードの奥で少女の口が三日月のように笑い、輝く髑髏の瞳が瞬く星のように嗤った。 「ひとのことを言えた義理じゃないでしょ。(たましい)を持たない、剥き出しの寿を寄せ集めた無形(むぎょう)の化け物のくせに♪」  彼とひとつになった彼女の瞳には本来ならば見えるはずのないものが映し出されていた。  全ての生き物がひとつずつ持つ(たましい)という(うつわ)。  寿命という名の流動する(ちから)。  つまり命の概念的構造、その原理。 「他人から掻き集めた寿命で辛うじて(ながら)えているだけの不安定な(かたまり)。だからこそ、そのなかに沁み込んでいる誰かの面影を真似られるんでしょ♪」 「ずいぶんと目が良くなったようだね。その通り、俺の名は想化怪(おもかげ)。啜った命の望む面影を映し出す」  想化怪(おもかげ)は籠の中の蒼い炎を指差し歪んだ笑みを深め、甘い声で囁く。 「お前が愛する男の姿をしているのはこの世ではもう、ただひとり俺だけじゃないか。そんな怖い顔をしないでくれ」  少女の表情は微動だにしなかった。その顔に張り付いた笑みは狂気であり、怒りであり、喜びだ。 「怖いなんて、化け物にもそんな感情あるんだ。でもダァメ♪」  不意に重みを増す声色。 「(きみ)は消す」  放たれた言葉には苛烈な意志が篭っていた。 「どうしてそんなことを、俺が消えればもうこの姿は二度と」  想化怪(おもかげ)のやんわりと諭すような抗弁を遮るように少女が右手を突き出す。そこに握られているのは錆の浮いた、かつて彼の首を切り落としたサバイバルナイフ。 「彼くんにはねえ、声も、言葉も、身体も要らないの。だってもう私と彼くんはひとつになったんだから。わかるかな♪ つまりね、の。彼くんの姿をした(きみ)はむしろ邪魔なんだあ♪」  想化怪(おもかげ)はなにも言えない。  正直なところ少し戸惑ってすらいた。  望まれた姿となる怪異でありながらその姿を、つまりは存在意義そのものを全否定されているのだ。  見掛けこそひとの姿ではあるがその身は決して人間ではない。それをこの少女に容易く出来るとは男には思えなかったが、それでも住み慣れたこの街で騒ぎや揉め事は避けたかった。  バーで会っている女の望む姿に変わろうかとも考えたが、それなりに寿命を啜らせて貰っているとはいえ、そもそもあの女が気に入っているのはあくまでこの姿の男だ。  想化怪(おもかげ)は望まれない姿には変われない。 「それじゃ、ばいばい♪」  手にしていたサバイバルナイフを振り上げると、その影がみるみるうちに伸びて姿を変える。  思えば当然の帰結とも言えた。  最愛の男を殺し、その魂すら奪って成り果て、最後に残った姿を持つ自分までも消し去りに訪れた、愛と死に由来する化け物。  それは命を刈り取るかたち。大きな黒い鎌。  想化怪(おもかげ)は最後に悔いるでもなく「これは見誤ったな」と、他人事のように呟いた。  その夜ひとりの男が街から姿を消した。  まあ、この街では流れ者が前触れも無しに消息を絶つなどそう珍しい話でもない。
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