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第三章 娘の失踪
それから楢本光男は、前田の研究所に内定したことを娘に話そうか、どうしようか迷っていた。それがあって、あの前田との密談以来、娘には連絡をしていなかった。娘の声を聞いたら、きっと研究所への入所の件を話してしまうと思ったからだった。娘へはもう少し後で打ち明けたかった。しかし、その我慢も一週間が限界で、とうとう楢本は娘に電話を掛けてしまったのだった。
ところが、いつもは数コールで応答がある娘の携帯電話が、その時は、空しくコールが鳴り続けるだけだった。楢本は、それを自分が電話を掛けるタイミングが悪かったくらいにしか思っていなかった。しかし、それからも、何度か電話を掛けてみたのだが、やはり娘の携帯電話に繋がることはなかった。楢本は繋がらないということは、このことを娘に知らせてはいけないということだと思い、結局電話はそれっきりしないことにした。
それから少し経ったある日曜日の朝、枕元で充電してあった携帯電話に、娘からの留守電が入っていた。楢本は、早速それを再生して聞いてみた。
「お父さん、私、大学を辞めました。今岡山に戻っています」
娘の声には力がなかった。
しかし、それにしても大学を辞めたとはどういうことだろうと楢本は思った。それからまだ留守電のメッセージは続いていて、暫く声が途絶えた後、最後に「ごめんなさい」という言葉が入っていた。
楢本は娘のその言葉が信じられなかった。娘が卒業間近で大学を辞めたことが、とても理解できなかった。そして、大学を辞めたとなると前田の研究所への就職もどうなるのかが心配になった。更には退学の理由も気になった。楢本はそれから何度も娘の携帯に電話を掛けてみたが、やはりそれが繋がることはなかった。そこで仕方なく岡山の元妻のところへ電話をしてみることにした。娘の携帯電話が通じなければ、不本意ではあるが、別れた妻のところに電話をするしかなかった。そして、娘と替わってもらうか、或いは元妻から娘の退学の理由を聞き出さねばなるまいと思った。
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