みどり(アナザーヴァージョン)

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第六章 身辺調査報告書  「木村霞 身辺調査報告書」―楢本光男の娘の調査報告書が今、前田の目の前にあった。その報告書は、人事部から所長を経由して、推薦者の前田のもとに届いたものだった。しかし、前田はその中身を見ても仕方がないと思った。何故なら、その手の書類は、優等生のものほど詰まらないものはなかったからだ。しかし、開封ぐらいはしておかないとまずいと思って、前田は一応中身を見ることにした。調査報告の結果は最終ページに書かれてあるとのことだった。そこで前田は、本文を全部飛ばして、いきなり最終ページを開いてみた。  「異性関係で問題あり」―その結果は、前田が全く予期していなかったことだった。 前田は、異性関係で問題があるとは一体どういうことだろうと思った。そして、この事実を楢本は知っているのだろうかと思った。もし知らなければ、このことを楢本に知らせるべきなのかと一瞬思った。しかし、楢本がこの事実を知らないで、もし自分からこのことを知らされたら、どれほど彼が傷つくだろうかと思った。 しかも、そのことを知ったきっかけが、彼女の身辺調査だったなどとは、口が裂けても言えないと思った。だから、このことは自分の胸の内だけに留めて置こうと思った。 それから前田は、調査報告書の本文に目を通すことにした。当初は、そんな必要などないと決めて掛かっていたのだが、そのような調査結果が出てしまったのでは、本文を見ないわけにはいられなかったからだ。 木村霞の最初の男関係は、彼女が在籍していた大学の助教授であった。その助教授は次の教授候補と嘱望されていて、大学側からも、学生達からも、絶大の信頼と人気を集めていた。  初めはどうやって二人がそういう関係になったのか、そこまでは報告書には書かれてはいなかったが、彼女の性格からいって、きっとその助教授の方が積極的にアプローチをしたのではないかと思った。 しかし二人の関係は突然終わりを告げていた。報告書には、東京タワーのよく見えるレストランで別れ話になったとあった。前田は、一体誰がそれを見ていたのだろうかと思ったが、その日彼女は始終下を向きっぱなしで、彼女の手に両手を添えた彼が一所懸命何かを話していたと報告書には書かれてあった。 どうやら二人の破局の原因は、その助教授の縁談のようだった。しかし、その後その助教授の縁談は破談になっていた。それは、彼女が何かを仕掛けたのかと、そこまで調査が行われたようだが、その証拠は見当たらなかったとのことだった。 それから木村霞には、時をほぼ同じくして、もう一つの異性関係があった。こちらの方が後の関係になるが、相手は同じ大学の学生だった。相手の名前は秋田元といった。学生らしい自然な始まり方だったが、突然二人は同棲を始めていた。ところが、その学生と同棲している最中、彼女は大学をいきなり退学して、岡山に戻って行った。 どうしてだろうと前田は思ってその次のページを捲った。しかし、次のページは白紙だった。そしてその報告書はそこで終わっていた。なんとも味気ない結末だが、これ以上調査が必要ないのは当然だった。それは、大学を退学した時点で、前田の研究所への入所はもうあり得ない話になったからだ。 前田の研究所の採用基準は、大学を卒業し、理学系の学士以上の学位を有することが条件になっていた。彼女はそれを退学で逃してしまったので、その時点で前田の研究所への道が閉ざされてしまったのだ。 前田は報告書に貼り付けてあった彼女の写真を見て、とても残念な気持ちになった。そして同時に、澤田信二という左遷された助教授と、秋田元という学生の名前を記憶に留めた。
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