みどり(アナザーヴァージョン)

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第九章 孫の失踪 楢本光男は、やがて、娘の一周忌を迎えた。元妻からは娘の葬儀以来、何の連絡もなかった。当然、一周忌の法事に関しても連絡は来なかった。娘の葬式でさえ、お骨になった後に呼び寄せたくらいだったので、こちらから行動を起こさなければ、一周忌の法事も知らない間に終わってしまうと楢本は心配をしていた。 そこで楢本は、菩提寺の僧侶に命日が近くなった段階でその日程を確認しておいたのだった。そしてその法事の当日、楢本は待ってましたとばかりに岡山に押し掛けて行った。 楢本が元妻の家を訪れると、彼女はあからさまに迷惑そうな顔をした。しかし楢本が、お前に会いに来たのではなく、自分の娘に会いに来たのだと言うと、渋々中に通してくれた。 楢本にとって、この一年間は娘の死を本当に痛感させた日々だった。娘の死を悲しむことが、自分が生きる意味だとさえ思ったこともあった。しかし、楢本を本当の意味で支えたのは、孫の存在だった。娘の法事の時にはその孫に会えるという期待が、楢本を生かしていたと言っても過言ではなかった。そのみどりは一歳になる。もう歩き始めていてもおかしくはない頃だと楢本は思った。 そこで楢本は、みどりはどこだろうと辺りを見渡してみた。ところがその姿はどこにもなかった。まだよちよち歩きが危ないので、法事の行われるここにはいないのかもしれないと思った。楢本は、仕方なく元妻にみどりの所在を尋ねてみた。すると、元妻は一言、みどりはいないと答えた。そこで楢本は、誰かに預かってもらっているのかと尋ねてみた。すると、みどりは養子に出したから、もうここにはいないという答えが返って来た。 「俺に何の相談もなしに養子に出したって?」 「あなたには関係ないことですから」 「関係あるだろう。俺の娘の忘れ形見だぞ!」 「たまに夕飯を食べるくらいの関係で、何が忘れ形見ですか! なんて大げさな!」 二人はそれから怒りとまでは言えないが、何か小さな感情の爆発を伴った会話を数回続けることになった。 そして、二人がようやく冷静になったところで、楢本は改めて元妻にみどりの事を尋ねてみた。すると、元妻一人では乳児を育てることはとても出来なくなって、それで仕方なく養子に出したということがわかった。 楢本の元妻には身寄りもなく、そこにいきなり東京から娘が帰って来て妊娠をしていると告げられ、しかも父親が誰かもわからないような話から、さすがに気丈な彼女も気が動転してしまったようだ。 そして娘のそのトラブルがきっかけで、もう二度と関わることがないと思っていた楢本と再び連絡をしなければならなくなったことは、元妻に更なる心の負担を強いたことだろう。 そして、娘の死……これは楢本だけではなく、当然元妻にとっても、大きな衝撃だったに違いない。そして、その娘の葬儀には別れた元夫がやって来る。 更には、世間が狭いこの土地では、「ててなし子を生んだ」という事実が大きく彼女にのしかかった。その中傷の声が彼女の耳にも頻繁に届いていたという。 「自分を弁護するわけじゃないけど、みどりを養子に出したのは、寧ろあの子のためだったのよ」 最後に元妻は楢本にそう言った。一生この土地で「ててなし子」として白い目で見られるよりは、縁も所縁もない別の土地で生きて行った方が、みどりにとって幸せだと思ったからだと、そう元妻は楢本に語った。楢本は彼女に、娘の三回忌にはもう来ないよと告げて、そして東京に戻った。
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