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ブレードファングは、その名の通り刃物のような薄く鋭い牙を持つ獣型のモンスターだ。
単体での戦闘力が高く、群れは作らない。長い牙で獲物の四肢を切り落とし、生きたまま内臓を食い荒らす……とかなんとか、吉野さんが以前教えてくれた。
やばい。ボサッとしてたら2人共やられる。
ブレードファングからしたら、俺たちは何だか分からんがものすごく狩りやすそうな絶好の獲物だろう。そりゃそうだ。2人して床に這いつくばってんだから。
獣臭い裂けた口端から、よだれが垂れて床に染みを作る。どうやら食う気満々のようだ。
さすがの国木も、現状がいかにやばいか理解したらしい。顔は青ざめて、体はぶるぶる震えている。
「おい国木! さっさと固定を解除しろ! 意地張ってる場合じゃねえぞ!」
国木は動かない。あの馬鹿、ダンジョン初心者でもあるまいし、ビビッて頭真っ白になってるのか?
このままだと本当にまずい。俺は国木が固定を解除しない限りここにピン留めされたままだ。国木が固定を解除するか、ブレードファングを倒すかしてくれないと、マジで死ぬ。
……意地張ってる場合じゃないのは、俺も同じだ。
国木にかけた共有を解除して、あの野郎を怒鳴りつけるなり煽るなりして、何とかブレードファングと戦ってもらって――……
――そう思って、国木へ向けて伸ばそうとした指が、全く動かない。
体が動かない。スキルの発動も、解除も出来ない。
ようやく気が付いた。国木はビビッて固まっていたわけじゃない。これは麻痺だ。
攻撃、防御、回避、そしてスキルの発動・解除――戦闘に伴うあらゆる行動を封じる、厄介な状態異常。
ブレードファングと視線を合わせた瞬間から、俺たちの体は麻痺し硬直していた。
「そんな……麻痺持ちのブレードファングは、乙種からのはずじゃ……」
かすれた声で、国木が呟く。旧西校舎ダンジョンには、最低ランクである丙種のモンスターしか出現しない。一度もダンジョンに潜ったことのない俺だって、そんなことくらい知っている。
じゃあ、どうしてここに乙種が?
誰も、その疑問に答えるものはいない。俺たちはただ硬直した体を震わせて、絶望するしかない。
ブレードファングの刃が、生臭い体臭が、嫌悪感を催す唸り声が、すぐそこまで迫っている。
「い、嫌だ……死にたくない……!」
震える声で国木が呟くが、そんな命乞いを聞くような相手ではない。鋭い刃が、俺たちの四肢を狙って冷酷に光る。そして――
「また会いましたね、先輩!」
鈴の鳴るような声と共に、春風が舞った。薄い桜色の刀身が閃き、ブレードファングの牙を折る。一瞬の出来事だった。
「スキル発動――状態異常解除!」
少女がスキルの発動を宣言すると同時に、硬直していた体がフッと楽になる。麻痺状態が消えた。ただ、アンチ・ダンジョンと固定状態はそのままだ。
「全くお馬鹿さんですね。こんなダンジョンのど真ん中で喧嘩するなんて。ダンジョン内では、内輪揉めは控えること――ダンジョン攻略の基本ですよ?」
片方の牙を折られたブレードファングが、それでも戦意を失うことなく、低い唸り声を上げている。少女は相変わらず微笑みを浮かべたまま、優美な日本刀を構える。
「ブレードファング乙種。視線に麻痺、爪に毒の追加効果あり。肉付き良好、戦意充分! 立派な魔石が採れそうですね!」
足取りも軽やかに、少女はブレードファングとの間合いを一気に詰めた。ブレードファングの下あごを思い切り蹴り上げ、あらわになった喉笛に、鋭い一太刀を浴びせる。
生臭い血しぶきが上がったのは、一瞬だけだった。瞬きをすると、辺り一面に飛び散った血液は淡い桜色の花びらとなって、優雅に宙を舞い落ちていくところだった。
すごい……これも、あの子のスキルの効果なんだろうか?
喉を掻き切られたブレードファングは、声もなく横ざまに倒れ込んだ。
「スキル発動――アイテム変換」
少女が死骸に手をかざすと、ブレードファングの体は光に包まれ、戦利品に変換される。
「うんうん。ブレードファングの肉と毛皮、刀牙の欠片。爪は……うーん、状態良くないなあ。でも魔石はそこそこの質。良いですね」
桜色の少女は、にこにこ上機嫌でアイテムを回収する。袖の中にぽいぽい入れていくところを見ると、あの上着の袖の中がアイテムボックスになっているんだろう。
まるで、ちょっと小蠅を叩き潰した、くらいの気軽さで、彼女はブレードファングを倒してしまった。そのあまりの強さと可憐さに、完全に呆気に取られて、俺も国木もぽかんと口を開けたままだ。
相変わらず、アンチ・ダンジョンと固定スキルの板挟みで、全身びりびり激痛だけど……っていうか国木は、ぽかんとしてないでさっさとスキルを解除しろって話なんだが。
「よし、全部回収したかな。さて……」
少女が、ようやく俺たちに向き合った。
「無事で良かった! 会いたかったです、先輩!」
会いたかった?
疑問が顔に出ていたのだろう、少女は少し照れながら説明してくれる。
「実は私、一人でダンジョンに潜れないんです。でもどうしてもダンジョン探索したくって……そんなとき、先輩のことを小耳にはさみまして、先輩と一緒だったらきっと私もダンジョンに潜れるって思ったんです! ぜひ、私のパートナーになってください!」
俺たちの「ぽかん」が加速する。
彼女ほどの強さを持つ人間に、単独探索許可が下りないなんてことあるのか? いや、それよりも、彼女のパートナーになるって……
ふと国木を見ると、勝ち誇ったような顔をしている。こんなクソ野郎でも、俺たちの学年でトップの成績を誇るダンジョン成績優秀者には変わりない。
彼女が、国木の実力を見越してパーティに入れてもらいに来たのだと、そう思っているんだろう。
だが、俺には分かる。
彼女の言う「先輩」は、国木のことじゃない。
「えへへ……前にお会いした時には、フラれちゃいましたけど。でも改めまして、もう一度お願いです」
そして少女は、あたり一面に舞い散った花びらをまたいで、
――期待の表情で少女を見つめている国木を無視して、
直角にお辞儀しながら、俺の方へと手を差し伸べた。
「弦食先輩! 私と一緒に、ダンジョンに潜ってください!」
俺が何の反応も示さないからか、少女は顔を上げて俺の手を取り、ぎゅっと握る。その瞬間、
(……あれ? 痛みが……消えた)
全身に走っていた激痛――アンチ・ダンジョンの効果による痛みが、嘘のように消し飛んだ。
そのことを知ってか知らずか、少女はふわりと、花が開くように笑ったのだった。
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