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「お話、終わりました?」
少女の言葉に頷くと、彼女は花が開くようにぱっと笑顔になった。
「では、次は私とお話しましょう! さっきの話ですが、ぜひ私のパートナーになっていただきたくてですね!」
「ちょ、ちょっと待てって。最初から説明してほしいんだけど、どうして俺と。っていうか俺、まだ君の名前知らないんだけど」
「あ、そうでしたっけ」
前のめりになっていた姿勢を正し、少女は「きをつけ」をする。
「久垣カレンといいます。先日付けで偉月高校に転入してきました、1年生です。よろしくお願いします!」
「あ、はいよろしく」
「先輩は、弦食イヅル先輩ですよね。アンチ・ダンジョン持ちで、ダンジョンに一歩も入れない、今どき珍しいダンジョン童貞だとか!」
「女の子が童貞とか言わない!」
俺が一括すると、彼女――久垣カレンは、いたずらっぽく笑う。
「先ぱぁい、もう平成も32年になるんですよ? 男がとか女がとか、そういう考え方、古いですって」
いや、そういう問題じゃない。そういう問題なのかもしれないが、俺が言いたいのはそういうことじゃない。
俺が不服そうな顔をしていると、久垣はくすくすと笑って「それよりも、」と話の軌道を修正する。
「自己紹介も済ませたことですし、もう疑問なんてありませんよね? 私のパートナーになってください! そして一緒にダンジョンに潜りまくって、魔石とかお宝とか採りまくりましょう!」
「いや、待て待て待てって」
疑問なんてありませんよね? じゃないんだよな。ありまくる。
「まず、俺はアンチ・ダンジョン持ちだ。あんたの言う通り、ダンジョンには一歩も入れない。入ったとしても、全身激痛で探索どころじゃない。あんたの言うような、探索のパートナーになるなんて……」
「いえ、なってもらいます」
「話通じねえな? なってもらうじゃなくて、なれないんだって」
「でもさっき、大丈夫だったでしょう?」
さっき?
思い返して、「あ」と声を漏らす。ダンジョン内でこの子に手を握られたとき、全身に走る痛みが確かに消えた。
もしかして……
「君は、アンチ・ダンジョンを無効化出来るのか?」
「君じゃなくて久垣カレンですってば。カレンって呼んで良いですよ」
「いや、そんなことよりアンチ・ダンジョンを」
「カ、レ、ン。ほら、リピートアフタミー」
「…………カレン」
「はいっ! なんでしょうか?」
この子、面倒臭いな。
「で、あー、カレンはさ、アンチ・ダンジョンを無効化出来るのか?」
「無効化っていうか、打ち消す? みたいな感じですね。私の持ってる永続スキルと、先輩の持ってるアンチ・ダンジョンが、上手いこと反発し合って対消滅するみたいで」
カレンが、ダンジョンの中でそうしたように、俺の手を取って強く握った。
女の子の、柔らかい手の感触。温かな体温に、不覚ながらもドキドキしてしまう。
「君の……あ、あーえっと、カレンの持ってる、永続スキルって?」
「私のスキルは『祝福』……ダンジョンに愛され、愛ゆえに囚われ、ダンジョンからの脱出が困難になる永続スキルです」
ダンジョンからの脱出が、困難になる?
彼女の言葉を噛み砕いている俺に、カレンは桜色の澄んだ瞳を向ける。
「そう。私はこのスキルのために、現実時間で約3年、体感時間にして実に10年以上もの間、ダンジョンに閉じ込められていました」
「じゅっ……は? え、じゃあ、年上?」
「現実時間だと3年ですから、えーと、同い年? あ、1個上か。でも深層ダンジョンって、時間の流れが曖昧なところが多くて。成長がストップしたり、逆に幼くなってるんじゃ? みたいなところもあって、大変でした」
改めて、目の前の少女を見る。桜色の髪、ふわふわとした雰囲気。こんな子が3年もの間、ダンジョンの深奥に閉じ込められていたというのか。
だからあんなにも強いのか。だからこんなに、綺麗な色をしているのか。
「先輩、私に見惚れるのも良いですけど、お返事はいただけないんですか?」
くりっとした瞳に見上げられ、俺は思わず後ずさってしまう。お返事。一緒にダンジョンに潜ってくれないかという、彼女からの誘い。
「私は、私に与えられた祝福のためにダンジョンに囚われて、なんとか脱出は出来たんですけど、単独での再潜入は禁じられてしまったんです。危ないからって。でも、私はどうしてもダンジョンに潜りたい。私と先輩のスキルを組み合わせれば、私の祝福スキルは打ち消されて、ダンジョンに囚われることもなくなる。先輩もダンジョンに排除されなくなる。ウィン・ウィンの関係だと思うんです!」
「どうして、そんなにダンジョンにこだわるんだ?」
「どうして?」
愚問だとばかりに、彼女は胸に手を当てて、堂々と答えた。
「だってダンジョン探索って、楽しいでしょう!」
その表情には歓喜と自信、そして未踏峰への渇望とがあふれている。まぶしい、と思った。
俺にとってダンジョンとは、忌むべき場所であり、同時に焦がれて仕方のない場所だった。父さんを奪ったダンジョン。人を食い、命を食らいつくす場所。それでいて、希望の場所。
同級生たちは放課後になるたびにダンジョンに赴いて、小さな冒険を繰り広げる。このダンジョン世紀を生き抜くための力を身に着けて、己の実力を試し、限界に挑戦する。
俺だけが、取り残されていた。
父さんを奪ったダンジョンに復讐も出来ず、いっそ憎しみなんて忘れて、ただダンジョン探索に没頭することすら出来ず――……
それに比べて、この子はなんて清々しいんだろう。
ただ楽しむためだけに、ダンジョンに潜っている。何のしがらみもなく、ただ本当に、自分が楽しむためだけに。
だからこんなにまぶしいのか。
気付けば俺は、彼女の手を握り返していた。
この手に触れていれば、俺もダンジョンに潜ることが出来るのか?
心の中で呟いた俺の疑問に答えるように、彼女は力強くうなずいた。
「よろしくお願いします、イヅル先輩」
「……ん」
下の名前で呼ばれ、やや面食らったが、俺も(彼女からの強い要望とはいえ)彼女のことを下の名前で呼んでいるのだし、まあ、良いだろう。
「よろしく」
俺がそう言うと、カレンは嬉しそうに、握手した手をぶんぶんと上下に振った。それから、相変わらずの溌剌とした様子で「あー良かった! 最終手段を使わずに済んで!」と、何やら恐ろしげなことを口にする。
「おい、何だ最終手段って」
「そりゃ最終手段ですから、これを出せば先輩は絶対『イエス』と答えざるを得ない! という奥の手ですよ」
え、何。俺もしかして知らないうちに、弱みか何か握られてたりする?
直近の出来事で、何かやましいことをしただろうかと考えていると、彼女は上着のポケットから何かを取り出した。「これ」と言って、俺に差し出す。
それは、丸みを帯びた三角形の、プラスチックの小さな板だった。
「私としても、脅迫の材料には使いたくなかったので、先輩が快諾してくれて助かりました。というわけで最終手段、先輩にお返ししますね」
見覚えがある。それを受け取る俺の手が、ぶるぶると震える。
「これを……どこで?」
「ダンジョンに囚われている間、深層付近で会った人に貰ったんです。もし外に出ることがあれば、『ツルバミイヅル』にこれを届けてくれって」
掌に受け取ったそれは、ギターのピックだ。
父さんは、ギターを弾くのが上手かった。昔の曲から流行りの曲まで、アレンジを加えながら弾いては、ご機嫌に歌っていたものだった。
これは、父さんのギターピックだ。どこにでも売っている定番の安物だけど、ひとつ、間違いない印がある。ピックの真ん中に貼られている、茶色いどんぐりのシール。
確か、幼児向けの雑誌におまけとしてついてきたやつだ。俺が貼った。父さんは怒りもせずに、「世界でたったひとつのピックになったな」と笑っていた。
どんぐりのシールはすっかり擦り切れて色褪せてしまっていたが、これが父さんのピックであることを、弱弱しく主張してくれている。
「私のスキルと先輩のスキルの相性が良いだろうってことも、その人に教えてもらったんです。事情があって、一緒に脱出することは出来ませんでしたけど……その人の名前は、わざわざお教えするまでもない、ですよね?」
彼女の言葉に、小さくうなずく。
「……父さん、」
掌のピックに、小さく呼びかける。遠くから「イヅルくーん!」と、迎えに来たあわいさんの声が俺を呼ぶ。
俺はそれを聞いていながら、返事をしなかった。あわいさんに肩をたたかれるまで、どんぐりのシールがついたピックを、ぼんやりと見つめていた。
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