ラフの線は、最後には消される

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 気がつけば私の手は新しいウィンドウを開いて、ピースするりんちゃんを描いていた。ラフはなし、一発描きの清書。りんちゃんだけは何故か候補の線は要らなかった。最初から形が見えて、不思議とすいすい描けたから。  そっか、と思い知る。きっとりんちゃんのことが諦められないのは優柔不断なせいだけじゃない。私はりんちゃんに自分を重ねてたんだ。鏡で写した自分をなぞっていたから、りんちゃんだけはラフが要らなかったんだ。  作品を感じるために自分を存在させてみたい、だから私は最初にりんちゃんを作った。でも作品にとって作者は蚊帳の外の存在、カメラの前でカチンコを鳴らす映画監督のように、最終的には消される。だからりんちゃんは清書に選ばれない線であり続けたんだ。  一陣の風が枯葉の山を蹴散らすように、何かが私の中で吹っ切れた。ウィンドウに映るりんちゃんを見ながら、担当さんに電話をかけた。 「はい、姫リンゴ先生。どうしたの?」 「あの、単行本用に書いた作者メッセージなんですけど。印刷所に持っていくのっていつですか?」 「え? 今日の夕方だけど……。もしかして描き直したいの?」 「はい。りんちゃんにしたいんです、私のアバターを」  今は名前の通り、リボンのついたリンゴのキャラクターを描いていた。絵の差し替えだけなら、なんとか間に合うはずだ。 「お願いします。りんちゃんじゃないと駄目なんです」 「うーん、そうねぇ……」  通信が途切れたかと思うほど沈黙する。人のいい担当さんがスマホを耳に押し当てたまま、頭を捻っている姿が目に浮かぶようだった。 「わかった。ただし、あと一時間で描き上げること。これ以上は遅らせられないから」 「ありがとうございます! 必ず間に合わせます」 「それにしても、何を食べるのかもなかなか決められない先生が、こんな歯切れよく主張してくるなんて。よっぽどりんちゃんが好きなんだね」 「はい。大切なんです。読者の人達は知ったこっちゃないですけど」 「いいんじゃない? 作者メッセージまできちきち清書する必要はないよ」  改めて礼を伝えて、電話を切る。りんちゃんを描いたファイルに名前をつけて保存し、新しいレイヤーを作成する。  さて、どんなりんちゃんを描こうか。ピースするりんちゃんの右の余白にお辞儀するりんちゃんを描いた。その後も新しいレイヤーを作り、下の余白に走るりんちゃんを、その左に読書するりんちゃんを描いた。一時間しかないのに、どのりんちゃんを出すのか決められない。けれど、たとえ無駄な作業だったとしても、この中から一番はどれか考える時間が今は楽しくて仕方なかった。
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