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飴色乃恋 「愛那編」
「愛那さん、お疲れ様でした!」
「うん、お疲れ様」
自身で経営するカフェの営業を終えた。
「今日も沢山のお客さんが来てくれましたね」
「本当ね。地元、清川にお店を出して正解だったわ」
こんな会話をスタッフとできることが、私の一つの幸せだった。40代目前でお店をオープンする時は勇気が必要で、一歩踏み出すべきか迷った。だけど大正解だった。清川でお店を出すことで、沢山の人と巡り合え、ここも愛されるカフェとなった。
なによりも地元で出店できたことが嬉しいことだ。清川には様々な歴史があり、母も華やかな職で働いていた一人。そんな母からは包み隠さず歴史を教わってきたのだ。それでもここ、清川に店を出したいと思ったのは、清川が大好きだから。
仕事を終えると、アイ・プリーマに向かった。
カランコロン、と入り口のベルが鳴り、私の入店を知らせた。
「あら愛那さん。いらっしゃい」
ここは高校の後輩、美幸営むエステ店。彼女の母は愛子さんといい、マッサージ店を営んでいた。美幸はそこを継ぐ形となったのだ。
「今日もよろしくね。頑張って働いてきたんだから」
「まかせてください。私の腕は母親譲りで抜群なんですから」
彼女は可愛らしくウインクした。
私は横になり、彼女の施術を受ける。なんて気持ちがいいんだろう。心が安らいでいく。
「凄く頑張った体してますね。プロなんでわかりますよ」
頑張ってきてよかった。そして、今日ここに来れてよかった。ここに来ると自分の頑張りを再確認できる。そう思うと安心して眠ってしまうのだ。そう、こうやって、ぼうっとして次第に……。
「……那さん、愛那さん」
はっと目を開けると、目の前には美幸の顔があった。
「終わりましたよ」
「ああ。気持ちよくてつい眠っちゃった」
私は目をこすると、伸びをした。
「凄く疲れてたんですね。これで美しくなって、おまけに疲れが取れたはずですよ」
「うん。肌もつやつやだし、体が軽い感じがする。また腕上げたわね」
そう褒めると美幸は凄く嬉しそうだった。
「仕事を始める前から知っている愛那さんにそう言って貰えると、嬉しさ倍増です!」
彼女はこの仕事をすることが夢だった。熱心に勉強していた姿が今でも鮮明に思い出せるくらい、熱心に勉強していた。資格を取り、夢が叶った時には一緒にお祝いしたものだ。それからというもの、この店に通っている。美しくなり、体も休まるから気に入っているのだ。
美幸は飴をひとつ取り出した。
「これ、よかったら食べてください」
「何これ?」
見慣れないものだった。赤く可愛らしい飴だった。
「トマト飴なんです。トマトは疲労物質が溜まらないそうです。マッサージ後にこれを舐めたら、きっと元気出ますよ」
「ありがとう。頂きます」
一口舐めてみる。甘いけど、ほのかにトマトの味がする。こういったものは初めて食べた。
「これはいいわ。甘いものは疲れが吹き飛ぶ」
フルーツトマトは食べたことがあるので、甘いものは合うような気がしていたが、飴にする発想はなかった。珍しいし美味しいし、これは人気商品なのではないか。
「しかも恋が叶うとかなんとか。おみやげにも売れているそうです」
「残念ながら恋の予定はないけど、おみやげにはいいわね」
おみやげに飴というのも面白い。持っていけばきっと、センスがある人だと思われるだろう。
「先代の母が言っていたので間違いないです」
「ああ。古くからこの店をやっていた愛子さんなら間違いないわ」
美幸はいくつかあった飴を私に差し出した。
「今日、ミチ子さんのお見舞いにいくんですよね? 良かったら持って行ってください。私からの差し入れです」
「いいの? ありがとう。きっと喜ぶわ」
アイ・プリーマを出て、母・ミチ子が入院する福岡赤十字病院へと向かう。
先日足を滑らせて骨折してしまったのだ。おっちょこちょいの性格は昔からで、そこは愛すべきところだが、骨折までしてしまうと心配になる。年齢も重ねているのでこれからは気を付けて貰いたい。でも娘なので、愛する母を看病に行く。これが娘の愛というものである。
病室のドアをノックする。
「お母さん、入るわよ」
「あら愛那。来てくれたのね」
母は微笑んでいた。元気そうだ。
「体調はどう? 痛がってはなさそうに見えるけど」
「今日は随分いいわ。痛みもなくて、歌が歌えるくらいよ。こんな風にね」
と、鼻歌を歌ってみせた。
「それなら安心したわ。ああ、そうだ。おみやげを持ってきたわ。これなんだけど」
私はトマト飴を差し出した。
「これはトマトの飴なんだけど、珍しいでしょう。良かったら食べてみて」
すると母は目を輝かせた。それは、ただおみやげを貰っただけでは浮かべないような表情だった。
「これはこれは! 素敵ね! お父さんと出会った時もこういうのを食べていたの」
くるりと回転させてよく観察している。
「ありがとう! 早速頂くわ」
一口頬張ると、嬉しそうな表情を浮かべた。
「美味しい! あの時の味に似ている!」
「まさかあの時代にトマト飴があったとは思えないけど……」
記憶を辿っていっているようだった。
「確かに少し違うけど、こんな感じだったわ。確かあの時は、いちごだったかしら」
両親が出逢ったのは、母がキャバレーで働いている頃だったはず。あの時代にいちご飴があったんだろうか。何かの記憶違いのような気がするが、母は確信を持っているようだった。それだけ確信があるなら、本当にあったのかもしれない。
コンコン、とノック音が聞こえる。
「失礼します」
そう言って入って来たのは白衣を来た男性だった。
「お話し中にすみません。おかげんはいかがですか」
「あら先生。元気でやっております」
彼は主治医らしい。診察は父が担当していたので、彼に会うのは初めてだった。
だがどこか見覚えがある。この顔はもしかして……
「もしかして、晃司?」
「そうです。ひょっとして……愛那?」
私達は互いを的中させた。
「あら、貴方達知り合いなの?」
「うん……」
お互いに視線を逸らすと、黙ってしまう。私達は高校時代、恋人同士だった。当然好きあって交際を始めたが、大学進学を機に別れてしまったのだ。彼は九州大学医学部に進学していたことは知っていたが、ここで再会するとは思わなかった。当時と変わらず爽やかだ。
彼は母の診察を終えると、退出した。私も後を追った。
「久しぶり。ごめんねお仕事中に声かけて。元気だった?」
「うん、元気でやってるよ。まさか娘さんだったなんて思わなかったよ」
彼は少しだけ時間があるようで、近況を伝え合った。
「愛那、今は何してるの?」
「カフェ経営してる。清川に店を出したんだ」
すると彼は朗らかな笑顔になった。
「凄いね。じゃあスタッフがいたりするの?」
「うん。私は独身だし親も高齢だから、家族に手伝って貰うのは無理だからね」
彼は医学部を卒業後、様々な病院で経験を積み、去年この病院にやってきたらしかった。こんなにも近くにいただなんて気付かなかったのが不思議だ。
私達は少しだけ近況を共有した後、
「今度お店に行くね」
「ありがとう。待ってるよ」
と、言葉を交わして別れた。
白衣の彼はあの頃と変わらない爽やかさで、少しだけ時めいてしまった。でも今は立場が違う。学生時代とは違うのだ。今更恋に発展するはずもない。今度お店に行く、なんていう言葉だって、社交辞令に違いない。
だが数日後、晃司は本当に店を訪れてくれた。
「アイスカフェオレひとつください」
「ありがとうございます」
まさか本当に彼がやってくるとは思っていなかったので驚いた。彼は店内にある、自由に読んでいい洋書を手に取り、読書を始める。これは帰国子女であるスタッフの趣味で、私は英語がわからないので、なにが書いてあるかさっぱりわからない本だ。
「お待たせ致しました。アイスカフェオレになります」
私が持って行くと、
「ありがとう」
と笑顔で返してくれた。
「おいしい」
と、彼がつぶやいたのを聞いてほっとする。案外、コーヒーの好みは人によって分かれるものだ。濃いという人もいるので心配していたが、彼はそんなことはなさそうだった。
「こんなにお洒落なカフェをやってるなんて凄い。作るときにも色々考え抜いたんじゃない?」
「うん。デザイナーさんと沢山話し合って改装したんだ」
そんなカフェの経緯なんかも話したりした。
いつしか彼は常連となり、会う回数が増えていった。コーヒーを気に入ってくれたらしい。
でも決して、昔交際していた頃の話はしなかった。
会うたびに高鳴る胸を押さえながら、もう昔とは違うんだ、と心を落ち着かせる。仕事がこんなにも忙しいのだから、恋にうつつを抜かしている場合ではないというのに。
とある営業日。今日はスタッフが早退し、一人で営業していた。
閉店間近で他にお客さんがいないのを見計らってか、晃司が声をかけてくる。
「お仕事中にごめん、これ、良かったら食べて。差し入れ」
紙袋を手渡された。
「えっいいの? ありがとう。ごめんね気を遣わせちゃって」
中身はトマト飴だった。先日、美幸から貰った飴と同じものだった。
「トマト飴。愛那ももちろん知ってると思うけど。愛那のお母さんが絶賛するから食べてみたくなって、自分と一緒に買ったんだ」
「これ美味しいよね。嬉しいよ」
私は笑顔で答えた。その時、恋が叶う、というジンクスを思い出す。まさか、そんなジンクスを知っている訳無い。知っていても、そんな理由で私に持ってきている訳――
「恋も叶うというしね」
と彼はつぶやいた。だが途端にはっとした表情を浮かべ、頬を赤くした。それってもしかして、
「どういう意味?」
「……俺、愛那のことが好きなんだ。再会してまた好きになってしまった」
私は驚いてしまって、声も出せなかった。
「付き合って欲しい」
気持ちは嬉しかった。私も好きだった。でも、私には仕事がある。開店したばかりでそんな余裕はなかった。
「仕事が忙しくて、開店したばかりで」
「愛那が頑張ってることはわかってる。少しずつ距離を近づかせたらいいなと思ってる」
私は頷いた。
しばらくして、私達は交際を始めた。数年後には結婚もして、詩織という娘もできた。
今年で春吉小学校の六年生となる。
作者 桑原茜
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