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飴色乃恋 「ミチコ編」
「この飴はなんと美しい」
二枚目で高身長の男性が、私に声をかけてきた。
「そうでしょう。それはいちご飴ですのよ。珍しいでしょう。舐めると恋に落ちるというジンクスがあるんですよ」
「ああ。高級品で中々お目にかかれない。そんなジンクスもあるのか」
と、彼は微笑んだ。
「私のような庶民には手が届かない存在かもしれない。ここがキャバレーじゃなかったら、きっとお目にかかることさえないわ」
すると、彼は飴を頬張った。
「この飴も美しいが、貴方も美しい。特別な存在だ」
「まあ」
私は頬を赤らめた。
「貴方ですね。清川で一番の美女というのは」
「何をおっしゃっているの。お上手ね」
でもこんなのは殿方の決まり文句に違いない。彼はにっこり微笑む私を真剣なまなざしで見つめたまま、私の手を取った。
「いや間違いない。大きな瞳に長いまつ毛……この町で一番の美女は貴方だ。僕が言うんだから間違いないよ」
彼があまりにもまっすぐに見るので、苦笑いする。こういう時、普通の女性だったら普通は喜ぶのかもしれない。でもここはキャバレーで、私はホステスだ。酒に酔っているが故の一過性の恋なのだろう。朝目が覚めたらきっと忘れてしまうのだ。
「じゃあまた遊びに来て。それが愛の証よ」
「ははっ。それこそお上手だな。仕事ができる所もまたいい」
彼は伸ばした手を引っ込めた。そしてそれ以上は触れて来なかった。彼はもう一口ウイスキーを口に運ぶと、自分がこの先生きていきたい人生について語り出す。
翌朝になれば私のことを忘れてしまった男性は沢山いた。以前は本気にしてしまったこともあったけど、裏切られてしまうのだ。だから本気にしないようにしている。
それに、いくら本気だったとしても私の過去を知ったら、きっと離れていくだろう。
こんな私が恋愛できる訳ないのだ。遊郭で遊女として働いていた女だなんて。
今は名前を変えて、別人のように暮らしている。私の過去を知っているのは一部の人間だけだ。少し前に遊郭が廃止になることを機に、新たな人生を思い描かなければならなくなった。ちょうどに二十歳になった時であった。考えに考え抜いた結果、遊女であったことを隠そうと決めた。
仕事がないと食べてはいけない。生きていくためには華やかな世界が良い。そう思い相談すると、友人にキャバレーを紹介された。遊郭の華やかさを知っているから、キャバレーの華やかさに魅了され、ホステスとなることを決めた。
でも今日の彼は、他の人と違う。何故かそう思った。
「愛子。今日も来たわ」
私は友人の愛子がやっているマッサージ店に、施術を受けに来た。
「あらミチ子。どうしたの? 何かいいことでもあったんじゃない?」
愛子は何かを勘ぐったように、にやにやする。私と長い付き合いの彼女は、私の事を熟知している。なんだってわかってしまうらしい。
「もう、本当になんでも分かるのね」
「そりゃそうよ。あんたがどんな人生を送って来たか、どんなことでも知っているわ。あんなことやこんなこともね」
と、ウインクされた。まったく彼女には敵わない。
「あなたにはなんでもお見通しなら、もう仕方ないわ」
「そうよ。白状しなさい。でも施術を受けながらね」
私がうつぶせになると、愛子がタオルケットをかけてくれた。彼女は施術を始めた。彼女の手は優しく丁寧に私の背中へとアプローチしてくる。
「はぁ、気持ちいい」
私はそう呟くと、大きく深呼吸し、心を落ち着ける。
「実は、昨日のお客がまた口説いてきたのよ」
「なるほどそういうことね。その殿方のことが忘れられないということか」
私は黙ってしまった。図星だったからだ。
彼女の施術は凄く心地よくて、眠りそうになるが、話も重要だった。なぜなら愛子は、いつも的確なアドバイスをしてくれるからだ。
「まあ、そういうことなの。彼はすぐに眠ってしまったというのに、なぜだか忘れられないのよ」
「口説き文句が美しかったとか?」
記憶を辿る。飴の話をしたが、あとは他の男性と変わりはなかった。浮かんでくるのは彼の笑顔ばかり。
「うーん。紳士的ではあったけど……いちご飴を舐めていたわ」
「いちご飴? あの恋に落ちると評判の?」
私は静かにうなずいた。
「いちご飴のように美しいって……きっとからかってきただけだわ」
「紳士的だったなら、あなたのことを気にかけているんじゃない? 今までの男性はどこか紳士的じゃなかったわ。本気なんじゃないかしら」
私は頬を赤くする。うつぶせになっているので愛子にはバレていないはずだった。
「そうかしら。本当にそうだったらいいけど」
「きっと本気ならお店に通ってくるわよ。まあ待ってみることね」
翌日から毎日あの彼は店に訪れるようになった。
彼は藤田というらしい。彼は、ミチ子さんに見とれて名乗るのも忘れていた、と笑った。
彼はいつだって紳士的で、私のことを気にかけてくれた。他の客のようにホステスだからといって変な絡み方をしたりはしない。一人の女性として大切に扱ってくれた。そんなところにも私は惚れていく。
「ミチ子さん。今日も会いに来ました」
「藤田さん。ありがとうございます」
こう挨拶を交わすときには決まって、
「遊びに来ることが愛の証ですから」
と返してくる。
最初に出会った時の会話をよく覚えているのだ。眠るほど酒に酔っていたのに、私との会話は覚えていた。そんなところも惹かれる点ではあった。
「恋に落ちるといういちご飴のジンクスは本当だった。おかげで貴方に会いに来てしまうよ」
また明日も会えるだろうか。そんな風に考えるようになっていく。次第に、これは恋なのではないかと気づいていく。私は本気で恋に落ちてしまったのだ。
「貴方は今日も美しい。見た目が美しいだけじゃなく、声も美しく気配りができる。仕事もできる」
他の女性のことは一切褒めなかった。私だけであった。
「藤田さんこそハンサムね。女性には困らないんじゃないかしら」
「女性は寄って来るが……自分から気に入った女性にしか興味がないもんでね」
藤田さんが女性に困らないだなんて、当たり前の事だった。だけど今まで気づかないふりをしていた。飽きられたら、きっと他の女性の元へ行ってしまう。そんなの当たり前の話であった。彼に離れて行って欲しくなかった。だけど、私は愛を打ち明ける勇気が無かった。
だって私は、
「遊郭の元遊女なのだから」
「今日もありがとうございました。また遊びに来てね」
「ああ。ありがとう。また明日も必ず来るよ」
私が手を振ると、彼も手を振ってくれた。
彼が歩くその後ろから、一人の男が追いかけた。その男には見覚えがある。
「あれは」
遊郭で遊女をしていた時代の常連客、山中だった。私は彼に熱心に口説かれたが、態度が悪く、とてもじゃないけど恋仲にはなれそうにもなかった。とても嫌な予感がした。
もしかしたらあのことを伝えたんじゃないだろうか。私に振られた腹いせに伝えたんだとしたら。藤田さんが私に足しげく通っていることは有名だった。二枚目の彼が一人のホステスに通い詰めているのだから、目立つのも仕方がない。だから彼が知っていてもおかしくはなかった。
山中は藤田さんに何かを耳打ちした後、すぐに去って行った。藤田さんはすぐに振り返り、私の顔を見た。それは驚いているような表情だった。
もうきっと明日から会いには来てくれない。私はたまらなくなって、藤田さんを追いかけた。
「待って!」
私が駆けてきたことにも、彼は驚いているようだった。
「ミチ子さん」
走ったので息が上がってしまった。呼吸を整える。
「なんのお話をされていたのかしら? 私についてのことでしょう?」
「それは……あの」
彼は黙ってしまった。私は確信を持った。
「遊郭のこと?」
彼はゆっくりとうなずいた。そして、うまく答えられないようだった。
「私が遊郭の元遊女とわかって……お嫌いになったのでしょう? わかるわ」
彼はうつむき、少し考え、そしてゆっくりと首を振った。
「そんなことはない」
その言葉に胸が高鳴る。こんな風に言われるとは思っていなかった。
「貴方は僕にとって特別なままだ」
私は驚いて、少しだけ呼吸を乱す。胸に手を当て、気持ちを落ち着かせた。
「気を遣わなくていいわ。私は少し前まで遊女だったの。隠していたのだから、驚いたはずよ」
彼に気を遣われたくはなかった。そうだ。私の胸がどんなに高鳴ったって、彼がどれだけ気を遣ったって、気持ちが離れて行ってもおかしくはない。
だが、
「気を遣ってなんかいないさ。本心だ。貴方は僕にとって特別なままだ。それが変わることなんかない。どんなことがあったって、変わることはないのさ」
彼は私の手をぎゅっと握りしめた。覚悟を決めたようなまなざしで、私の事を見つめる。
「ミチ子さん、僕と一緒になってくれないか」
突然のことに、私は驚いて声が出ない。こんなの冗談に決まっている。でも、信じたくなってしまう。
「貴方はいつも僕のことを、冗談が上手だと言う。でもこれは冗談じゃないよ。本心さ」
「そ、そんな。私でいいのかしら」
驚きのあまり、こんな言葉しか返せなかった。
「貴方がいいのさ。僕は完全に貴方に惚れてしまった。だからちょっとやそっとじゃ冷めることなんてないのだよ」
私は顔を真っ赤にする。まさかこんなことを言ってくれる男性が現れるだなんて思わなかったからだ。私は嬉しくなって、すぐにその手を握り返した。
「私もあなたと一緒になりたい」
それからの生活は幸せだった。
「おめでとう!」
私が藤田さんと一緒になることを、皆期待していたようだった。それはもちろん、私にとっても喜ばしいことだ。女の幸せは好きな人と一緒になれることと、それを祝福されること。
私達は結婚し、子供にも恵まれた。娘は愛那という。友人のマッサージ師・愛子の愛の字を取り、愛される子になって欲しいという想いも込め名付けた。
ずっと愛し愛される子になって欲しい。私達が愛し合ったように、愛される人にも巡り合って欲しい。
愛那はすくすくと育ち、ほっと一安心している。
作者 桑原茜
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