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翌日。音を立てながら私はキーボードを叩いていた。オフィスの壁時計に目をやる。時刻は十七時五十分。
――就業時間まであと十分、十分、十分!
脳内で呪文のように繰り返していると、
『ぐる、ぐる、ぐるー!』
不快なことに腹の虫が合いの手を入れてくる。
――空服の力を見くびってたわ。
お腹をさすった。
――まさかあんな短時間着るだけで、こんな腹ペコになるなんて……。
自分の行動を今さらながら後悔した。空服の効果をいち早く確かめたかった私は、外に出る昼休憩の間だけ、仕事着から空服に着替えたのだった。食べたランチはトンカツ定食。いつもなら退勤時間まで十分もつ。が、お店を出る時にはもうお腹が鳴っていた。
――あと五分……五分……五分……。
頬を伝う汗をブラウスの袖で拭う。やはりカロリー不足はキツイ。でも負けたくはなかった。そう、これはスリムになるための試練。間違ってもデスクの引き出しに忍ばせているチョコには手をつけない。私は綺麗になるんだ。美しく生まれ変わって素敵な彼氏を作ってやる。そしてレイコに思いっきり自慢してやるんだから!
「ごふ……ん」
遠のきかけた意識が、
「ちょっと君!」
呼び戻される。何とか首を持ち上げて、息を呑んだ。
「かなり具合悪そうだけど、大丈夫?」
整った目鼻立ちに凛々しい切れ長な目。そしてスマートな青色のスーツ――王子様と見紛う美青年が、私を心配そうに見つめていた。
「あっ、いえ。私は平気です。ごめんなさい」
直視できずに目をそらす。
「でもすごい汗だよ。俺、何か飲み物買ってくる」
「それはさすがに申し訳ないですから」
立ち上がる美青年を引き留めようとすると、
「カイトさ〜ん」
ふいに響いた鼻にかかる声。同僚一の美女、サナがカイトと呼ばれた美青年にくっついた。カイトの腕が丸みのあるものに挟まれる。私は目を凝らす。その正体はピンク色のニットセーターに見事な曲線を描かせる、サナの豊満な胸だった。
「お仕事が終わったんならぁ、ご飯に行きましょうよぅ」
短いスカートを左右に振るサナ。その度に揺れるたわわに実った二つの果実。私は歯ぎしりをした。
――そのぶら下げた桃、もいで喰ってやろうか!
殺気が伝わったのか、カイトはサナから離れようとする。
「悪いけどサナちゃん、先にこの人に飲み物を」
「はいミユキさん! これ飲んでくださぁ〜い」
サナがペットボトルを突きつけてきた。
「ちゃんと水分補給してくださいねぇ、それでは私達は失礼しまぁす」
サナが何か言いたげなカイトを引っ張って行く。二人の後ろ姿を見送ったあと、私はため息をついた。
「まさにお似合いのカップルってわけ?……まぁ少し痩せたぐらいじゃ私なんか」
淡い展開を期待した自分を鼻で笑う。手元に目をやる。渡された飲み物がただの水であることに気がついた私は、
――何よ……糖分節制して痩せろとでも?
無言でペットボトルを握り潰した。
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