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一章 青い段駄羅
【花と水】
一章 青い段駄羅
*
澄み渡った、真っ青な空。
立ち並ぶ長屋の前では子供たちが元気に遊んでいる。
土に輪を書き、その中に足を運ぶ。
「けんけんぱっ、けんけんぱっ」
その男子は、楽しそうに笑みを浮かべている。
男子の母親らしき女が、近くの井戸でそれを笑顔で見つめている。
すると、男子がどてっと派手に転んだ。
その場がしぃんと静まり返る。
と、バサリと青い段駄羅模様の羽織を靡かせて、一人の青年が男子に近寄った。
「大丈夫ですか?」
笑顔でそう聞く彼の名は、沖田総司。
茶色がかった長い髪をひとつ結びに結い、可愛らしい顔と印象ぴったりな低身長。
男子は涙を目に溜めて沖田を見上げた。
「お兄さん、だあれ?」
フフン、と笑った沖田は、羽織の裾から一つの紙を取り出した。
折り紙だ。
綺麗な和紙で、それを次々と手慣れた様子で折っていく。
「お兄さんはね、この辺りにお散歩に来たんですよ。偶然あなたを見つけました。その運命として、これをあげます」
男子に手渡したものは、折り紙で折った鶴だ。
「わぁ。綺麗な折り紙だね。お兄さん、折り紙上手だねっ!」
ニコリと笑うと、鶴を丁寧に受け取った。
満足気に沖田は笑い、男子を見つめる。
と、彼が急に立ち上がった。
あの母親に、手を引かれたのだ。
「えっ、母ちゃん?」
「健之助、帰るよっ!」
「えっ、ちょっと、母ちゃん」
怒り気味な母親は、キッと沖田を睨んだ。
「誘拐でもするつもりかい!二度と顔見せんじゃないよっ!!」
そう言うと、早足でどこかへ行ってしまった。
沖田はしゃがんだまま一人ぽつんとそこにおり、なんとも滑稽な姿だ。
*
「それでね、私、その健之助さんにさよならも言わせてもらえなかったんです。まぁ、お母さんが怒るのもわかりますが、見た目で人を判断してはいけないというのは、そういうことですよね」
ペラペラと長舌になって話し込む沖田。
その眼の前に、沖田に背を向けて座る一人の男。
筆を動かし、何か書いているようだ。
刺々な髪で、肩幅も広い。
無愛想で笑いもせず、一見怖い印象だ。
「お前が新撰組の隊士だと勘付き、それが怖かったために母親は子供を連れて帰ったんだろう」
そう言う男の名は土方歳三。
『鬼の副長』の異名を持つ、新撰組の副長だ。
そもそも新撰組とは、どんなものなのか、説明させて頂こう。
新撰組とは、幕末期に活躍した、幕府側の団体のことだ。
もともと、壬生浪士組と言って、仕事のない侍たちを集めた団体だったが、その中の主要人物、清河八郎が尊皇攘夷に寝返ろうとしために、その一行は幕府によって処刑された。
残った人間たちを集め、組んだ組が新撰組だ。
今は隊士は百人にも満たないが、明治になる頃には幕府の一大勢力となっていた。
そんな新撰組の副長土方と、沖田が今会話をしているのだ。
「そうですね。確かにこの青い段駄羅模様の羽織は新撰組の象徴で、それもその新撰組とは人殺しの集団。そりゃあ我が子の危機を感じますよね」
寂しそうに、でも余裕そうに話す彼を、振り返って土方は見つめる。
じーっと見つめ合う、数秒の沈黙。
沈黙を破ったのは土方だった。
「……鬼の副長とかなんか、俺は言われているが、そんな俺より遥かに鬼がいたもんだよな」
「あははっ、どういうことですか」
沖田は土方の体に自分の体を寄せ、笑いかけた。
「さぁな」
「もう、土方さんたら」
その意味は、沖田は本当はわかっていた。
わかっていたが、自分はそうでないと、自分に言い聞かせるために、わからないふりをした。
(……もう、私たら)
*
「御用改である!!新撰組だぁっ!!」
どたんばたんと四方八方から鳴る音。
その中には、誰かの悲鳴や、刀で何かを斬りつける音などもある。
土方は刀をもってその建物を物色し始めた。
ここは酒屋。
だが、尊王攘夷の者共が戯れて話す場所でもあった。
新撰組隊士が、すぐ隣で戦っている。
加勢をしようとは思わない。
なぜなら、負けない強さを持っていると知っているから。
もし負けて、殺されそうになっている場合は、容赦なく敵方を叩き斬る。
だが、そうでもない場合は見るでもなく、通り過ぎる。
(大分やったな)
土方は自身の鼻をこすった。
自分は人を今回斬っていない。
自分の出る幕はなかった。
だが、他の奴らが斬って斬られた。
そのため、血腥いような臭いが建物内に立ち込める。
鼻をこすってもこすっても臭うこの異臭。
慣れない。
「副長!」
後ろからドタバタ駆けてくる平隊士。
怪我はないようだが、羽織にたくさんの赤い血液が付着している。
あの、青い段駄羅模様に。
「どうかしたのか」
「沖田さんを見かけませんでしたか。隊列を組んでいたのですが、急にふといなくなり」
土方は眉を寄せた。
「そうか。わかった」
そう言うと、急いで近くの階段を駆けた。
階段をあがった先には、開いた襖があった。
そこには無数に倒れた人々。
その真中に立つのは、青い段駄羅を真っ赤にした、青年。
暗い部屋がやけに不気味に見える。
表情は、暗くて見えない。
「総司」
土方は呼びかけた。
すると、出していた刀を鞘に戻し、こちらに青年が駆け寄ってくる。
彼は、沖田だった。
袴にも顔にも血を付けて、ニコリといつもの温かい笑みを浮かべる。
「もう、終わりましたか?」
土方は顔を顰めた。
そして、青い段駄羅の裾で沖田の頬を拭う。
青が赤に変わる。
無言でそれをする土方に、沖田は目を丸くする。
「土方さ」
「土方さん」とまでは、言い終わらなかった。
土方が沖田を抱きしめたからだった。
「土方さん、どうしたんです。血が、付いてしまいますよ」
「いい」
「臭くないですか」
「ああ」
「臭いでしょうに」
「いや」
フフ、と沖田は笑った。
新撰組の、一番隊組長、沖田総司が。
一番隊は剣豪揃いだ。
その強い一番隊をまとめ上げるのが、沖田なのだ。
強いに決まっている。
強くないわけがない。
土方はそれを知っていたが、知らぬふりをしていた。
沖田がこの人数を一人で相手し、一人で斬った。
彼は優しいから、それに戸惑うことがある。
だけど、斬るのを迷ってしまえば、自分が斬られる。
だから彼は、人を斬る際は心を鬼にして、自分は今、沖田総司じゃないかのようにして、人を斬っていた。
(俺の、莫迦)
土方は反省した。
人を斬ったあとの沖田は、物凄く悲しそうだった。
「そんな俺より遥かに鬼がいたもんだよ」と言ったあのとき、沖田が傷付いたのを知っていた。
あの意味は、「沖田が鬼」という意味と同義だった。
新撰組は人斬りの組織だ。
それである以上、自分がほかより強いことは望んでいる。
だが土方は、沖田よりもまだ弱い。
それが悔しかったのか、あんなことを言ってしまっていた。
強くなりたい土方と、鬼になりたくない沖田。
二人は、抱き合ったまま動かない。
「すまなかった、総司」
「何の話ですか?」
「惚けるな、お前は鬼なんかじゃない」
「……何の話ですか?」
「鬼ってのは、人を斬るときに容赦なんかしない。迷いなんかない。だからお前は、鬼じゃない」
言葉が足らなさすぎるのでは、と沖田は思った。
だがなぜだか、その言葉に救われた気分になった。
「そうですよ、私は鬼じゃないです」
「ああ。鬼とは俺のことだ」
「はは、それも違う気がします」
沖田は土方を抱きしめ返した。
(鬼は、こんなふうに、暖かく、優しく抱きしめたりなんかしない)
沖田は薄く微笑んだ。
*一章 青い段駄羅 完
(漢字表記)
沖田総司(おきた そうじ)
土方歳三(ひじかた としぞう)
新撰組(しんせんぐみ)
壬生(みぶ)︙地名
尊皇攘夷(そんのうじょうい)︙天皇家を敬い、異人を追い払おうとする考え
段駄羅(だんだら)
惚ける(とぼ‐ける)
莫迦(ばか)
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