神のいない世界

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 閑散とした事務所の電話が、役目を思い出したかのようにけたたましく着信を知らせる。 「先輩、、起きてください。仕事ですよ。」 「なんだ、事件か。事故か。」 「それが、自殺未遂だそうです」 「ふむ、今時珍しい。しかし自殺未遂ならセラピーに直接まわせばいいじゃないか。 あちらも日ごろ暇を持て余しているだろうに。」 「いえ、どうやらその男はN博士を自称しているらしく」 N博士。300年も前の偉人を騙るとは、酔狂とも言い難い。しかしその男がN博士であるのかどうか、そんなことはあまり関係がない。事件性があれば捜査するだけである。 取り調べ室には、やつれた男が静かに座っていた。 「先輩、これが押収した資料です。」 分厚い紙の束は麻ひもでまとめられ、表紙には「人類選別計画」と書かれている。 「これについて、知っていることを教えてください。」 「殺してくれ」 男は空を見つめつぶやく。 「連れてきた時からこんな調子でして」 ―ふむ、久しぶりに長い仕事になりそうだ。 カップを口に運び一息つく。 「死刑制度など日本にはありませんよ。いえ、もうどの国にもありません。ですので、あなたがどのように答えようとも、殺してさしあげることはできません。しかし、あなたが事実をお話しくだされば、警察としてあなたのお力になることもできます。どうか誠実に質問に答えてください。これは、かの研究所で作成されたものですか?」 無表情に話を聞いていた男は、静かに深呼吸し、観念したように落ち着いて話しはじめた。 「私自身は、もう、研究所とは関係ない。」 男は資料を見せながら、淡々と説明を続ける。 「これは、人工的なウィルスを用いて意図的に人間を減らす計画だ。まずふさわしいと判断された人間の遺伝子にウイルス組み込む。その人間は無意識に殺人ウィルスをまき散らし、ふさわしくない人間を緩やかに減らしていく。そんな過程を数世代も繰り返せば、選ばれた人間の子孫のみで構成された新世界が完成するのだ。」 人類選別計画。巷では都市伝説レベルの噂だが、捜査機関がかの研究所跡から得た機密情報には、それを示唆する証拠がいくつか存在する。計画が実行されれば、人類史上最も平和な100年を終わらせる未曾有のテロとなるだろう。それは、 「心配はいらない」 男は不意に口を開いた。 「私が最後の一人だ。」
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!