14人が本棚に入れています
本棚に追加
放課後と言えど夏の暑さが充満し、湿った空気にうんざりする筈の教室が、今日は何故かそう感じさせないのは、じきに始まる夏休みと、明日の夜行われる祭りへの“高揚感”に他ならなかった。
しかしその中で1人、翡翠だけはその雰囲気に相反するようにため息を吐いた。
ここ2、3日蒼玉とまともに話をしていない。
話をしていない訳では無い。
しかしどこかよそよそしいと言うか……大袈裟に言えば避けられているような気すらしてしまう。
それが堪らなく寂しいのに、翡翠も何故か上手く口にすることが出来ずにいた。
「翡翠ッ!」
昇降口で聞きなれた声に名前を呼ばれ、靴を履き替えていた翡翠は顔を上げた。
「窪塚先輩…」
「あれ?1人?」
「あ……はい。友達が先生に呼ばれて……」
「そっかそっか。お前……明日の祭り行くの?」
肩を並べて歩き出した窪塚に
「あー…………多分……」
翡翠は少し困ったように笑った。
「なに……多分て……」
窪塚もつられて苦笑いしている。
「蒼玉……弟が…………なんか知んないけど、へそ曲げてて……」
「弟?」
「はい」
不思議そうに聞き返した窪塚に、翡翠も不思議そうに首を傾げた。
蒼玉と面識は無いにしろ、何度も話に出ていて知っている筈だ。
「…………弟がへそ曲げてるのと……祭りと、関係なくね?」
「───え…………だって…………蒼玉が行きたくないって言ったら……」
「お前……弟と祭り行くの?」
「え………………はい……」
「…………え……じゃぁ弟が行かないって言ったら……お前も行かないわけ?」
いつも優しく笑っているような細い目が、今は何故かまん丸く見開かれ、翡翠を見つめた。
「まぁ……多分……」
翡翠はそう返すと、バツが悪そうに指で頭をポリポリと掻いた。
なぜ窪塚がそんな反応をするのか解らない。しかし恐らく、窪塚の反応がおかしいのでは無く、自分の言っていることがここではおかしいのだと解る。
「……まぁ、お前んとこ仲良いもんな」
窪塚は自分の中で“折り合い”をつけるようにそう言うと
「じゃぁもし……弟が行かないって行ったら、連絡しろよ。俺、祭り行くからさ。向こうで合流しよう」
いつもの面倒目の良い明るい笑顔へと変わった。
「え……だって、先輩友達と行くんでしょ?ヤですよオレ……知らない3年生に囲まれるの」
「バカ、翡翠が来るなら抜けるよ。大勢で行くから俺1人抜けたところで、どってことねぇし」
ニヤッといたずらっぽく笑った窪塚の顔を翡翠はマジマジと見つめた。
部活以外で見かける窪塚は、決して“抜けたところでどってことない存在”とは思えなかった。いつも周りに人がいて、所謂クラスの『中心的存在』だと分かる。
だからこんな風に1人でいる事自体、翡翠は初めて見た程だ。
「あー……まぁ……気が向いたら……」
「お前……本当つれねぇな」
翡翠の反応に笑うと、いつも部活でやるように茶色の柔らかい髪をくしゃくしゃっと撫でた。
すると
「ヅカー!お前ッ!何先行ってんだよ!」
先程出たばかりの昇降口から数人の生徒が窪塚目掛けて声を上げている。いつも窪塚と一緒に行動している3年生だ。
「──やべ……バレた……」
ボソッと吐くと
「とにかく──連絡待ってっから。弟と行くにしても、連絡くらいしろよ!」
こちらに向かっている友人達の元へと踵を返した。
「──え……」
「ゼッテーだぞ!待ってっから!」
そう言い残し、小狼が仲間と戯れ合うように友人とふざけ合う窪塚を翡翠は不思議そうに見つめた。
───なんで……わざわざ…………
友達と行くと決まっているのに、何故わざわざ連絡しろと言ったのか“意味がわからない”と言いたげに肩をすくめると、翡翠は1人蒼玉の待つ家へと歩き始めた。
最初のコメントを投稿しよう!