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目を見張る程見事な青空に、音だけの花火が乾いた音を立てているのを、翡翠は隠すことなく髪の上にピョコッと現れている耳で、音の方向を探るように傾けた。
昼間は子供向けの屋台や、神輿やお囃子などでまた違う装いを見せていると中継しているテレビの画面を、翡翠は視界の端に映し、洗濯を畳みながら小さく溜息を吐いた。
そして昼食の後片付けをしている蒼玉の背中を盗み見るようにチラッと視界に入れる。
昨夜も夕食を食べ終えると、蒼玉はさっさと自分の部屋に行ってしまって、ほとんど話していなかった。
しかし怒っているのとはやはりどこか違う。かと言って落ち込んでいるのでもない。窪塚に言った通り『ヘソを曲げている』という表現が一番しっくりくるのだ。
「蒼玉!今日浴衣着てくだろ?」
蒼玉が仕事を終えるのを見計らい、翡翠は出来るだけ明るく、且つ当たり前のように声を掛けた。
すると以前何度か見たことのある、上目使いの、不貞腐れている時特有の眼差しが向けられた。
そして……何も言わない。
───あ…………これ……拗ねてんだ……
まだ“ここ”にくる前、親代わりの琥珀と幸成の子供の『陽』を構い過ぎた時、何度か向けられた眼差しだ。
しかし、ここ暫く『陽』とは会っていない。
何故今その眼差しを向けられるのか解らずに、翡翠は眉をしかめた。
蒼玉が拗ねる理由が解らない。しかし確実に拗ねている。
翡翠は困ったように笑うと
「おいで、蒼玉」
畳んでいた洗濯を横に退かし、両手を広げて昔のままの不貞腐れた蒼玉に差し出した。
すると上目遣いの、拗ねた瞳が逸らされては見つめ、見つめてはまた逸らされる。
それを何度か繰り返しても差し出されている手に、蒼玉はおずおずと近寄り、翡翠の前に膝を着くと身体に思い切り抱きついた。
「なぁに拗ねてんだよ」
温かい手が、今度は蒼玉の黒く艶のある髪を優しく撫でた。
「だって…………翡翠……誰かと…………祭り行くんじゃないの……?」
背中に回された、食器を洗い終えたばかりの冷たい手がギュッと強く翡翠の服を掴む。
「はぁ!?──行かねぇよ!祭りはいつもお前と一緒に行くじゃん!」
「……でも……」
「でもじゃねぇよ……。オレ、蒼玉以外と行ったこともねぇし、行きたいとも思わねぇよ」
思わず溜息が漏れる。
この数日間、蒼玉がなにでそんなにヘソを曲げているのか……そればかり考えていた。
「洗濯物片付けたら祭り行く支度するぞ」
蒼玉の髪をくしゃっと撫でると、翡翠はそう言って笑った。
幸成の縫ってくれた浴衣に着替え、鏡を見ながら襟元を整えると、久々の親しんだ肌触りに、やはりホッとする。
「翡翠」
いつの間に部屋から出てきたのか、鏡越しに頬をほんのりと紅くした蒼玉の笑顔が覗いた。
「なんか……久しぶりに着ると、少し照れるね」
その言葉が嘘では無いようで、そう言いながらも頬だけでは無く、浴衣から覗く首元まで淡く染めている。
「そうか?オレはやっぱこっちのがいいや」
それぞれの瞳の色に合わせたのか、翡翠は濃い翠、蒼玉は淡い紺色の浴衣だ。
「うん。翡翠は浴衣似合う。……洋服もかっこいいけど……」
「バーカ」
蒼玉の素直な言葉に照れたように笑うと、翡翠は振り返り、蒼玉の首元に手を伸ばした。
「お前……襟元少し変だぞ、直してやるよ」
「……え…」
温かい手が紺色の浴衣の襟を這い、触れてもいない首元にその温度を感じさせる。
「お前……相変わらず下手な」
笑っている翡翠の胸元から覗く肌に、蒼玉の鼓動が僅かに早くなった。
子供の頃から少しづつ翡翠の高さを追い越し、今では頭半分程自分の方が高い。
以前はそれが“翡翠の弟ではなくなってしまう”みたいで嫌で仕方なかった。
───嫌だった筈なのに
蒼玉の手が、ピクリと僅かに動いた。
───このまま抱きしめたら……翡翠は……受け入れてくれるのかな…………弟としてじゃなくて…………
見下ろした浴衣の奥の肌の白さが、妙に艶めかしく見え蒼玉の喉の奥が小さく音を立てた。
「ほい、出来上がり」
直した襟元を軽く叩き、得意気な笑顔が蒼玉を見上げた。
「………どうした?お前……顔真っ赤だぞ?」
「───え……」
───今俺…………なにを…………
「なんでもないッ!」
「…………そうか?……ならいいけどさ……」
眉を顰め呆れたように笑った翡翠から思わず目を逸らした。
後ろめたさが鼓動をバカみたいに早くして胸を痛い程締め付ける。
翡翠を取られたくないのが、“弟”としてなのか、それとも“雄”としてなのか……。
「蒼玉!そろそろ行くぞ!」
同じ布地の小さな巾着を手にすると、翡翠は嬉しそうに笑った。
すると机の上に置きっ放しだった翡翠のスマホが着信を知らせ大きな音を立て始めた。
「あ……窪塚先輩だ……」
スマホを手に取った翡翠は、なんの躊躇いも無く口にすると、蒼玉に背中を向け『窪塚先輩』との電話を繋いだ。
「はい───え?……あ、今から行くところです………はい……弟と一緒に………」
迷いもせず翡翠の口から出た言葉に、蒼玉は思い切り両手を握りしめた。
───………俺は……弟じゃない……
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