まだまだ子供?

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「えー…………いいですよ……先輩も友達と一緒でしょ?……オレは弟といるから……」 自分に向けられるのとはまた少し違う声に、先程までとはまた違う痛みが胸を締め付け、蒼玉の瞳を微かに濡らした。 ───俺の……翡翠なのにッ………… 「…………翡翠のバカ……」 大きな、深い海色のような瞳から、言葉と一緒に一筋の涙がこぼれ落ちた。 「───え……」 翡翠が驚いたように振り向くと 「───翡翠のバカーッ!」 普段なら絶対出さないような大声で怒鳴り、部屋へ駆け込む蒼玉の後ろ姿が翠色の瞳に映った。 「……え…………蒼玉…………?」 蒼玉の部屋の鍵が閉まる音にも翡翠は立ち尽くしたまま動けずにいた。 ───今…………“翡翠のバカ“って……なんで…………!? しかも恐らく泣いていた。 ─『──翡翠?……おい!翡翠!?』 スマホからは心配そうな窪塚の声が聞こえる。 「……あ…………すみません……」 ─『今…の……弟の声?』 「──え…………あ……はい……」 ─『なんか怒ってたっぽいけど大丈夫か?』 「え…………あ……」 ───やっぱり、怒ってた……ん…だよな…… 「──すみません…先輩、いったん切ります!」 ─『え!?──翡翠!?──ひす──』 まだ響く窪塚の声にも構わず通話を終えると、翡翠は蒼玉の部屋のドアへ手を伸ばした。 しかし音が教えた通り、中から閉められた鍵がその侵入を拒絶するように止めた。 「───!蒼玉ッ!どうしたんだよ!?」 ドアを叩く音が決して広くは無いアパートに響いた。 何故突然“バカ”と言われたのかも、蒼玉の頬を伝った涙の意味も解らない。 「なぁッ!!───蒼玉ッ!」 聞こえない筈が無いのに、何も示されない反応に翡翠は大きく溜息を吐いた。 「……なぁ…………どうしたんだよ…突然……」 それでも返される沈黙に、翡翠は座り込み膝を抱えた。 つい数分前までやっと機嫌をなおした蒼玉と祭りに行く支度をしていたのに……。 「…………なんなんだよ…………」 テレビから賑やかな様子が流れ、晴れた空に再び上がった昼間の花火が、ぽつりと吐いた翡翠の言葉をかき消すように鳴り響いた。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 夜空を飾る大輪の花が打ち上げられる度に、暗い部屋を色とりどりの光が淡く映し出している。 蒼玉の部屋の前では、浴衣を着たままの翡翠がドアのすぐ横の壁に背中を預け、相変わらず膝を抱え座っている。 あの後も幾度も呼ばれる名前に、蒼玉は小さな音を立てることすら無かった。 「……蒼玉…………前もこんなことあったよな……」 聞いているのかも分からない蒼玉に向けて、翡翠は話し出した。 まだ幼い頃の事を思い出したからだ。 「ほら……お前が幸成に噛み付いてさ……納戸に隠れて…………あん時もオレ相当待ったよな…………まぁ…今回が最長記録だけどさ」 そう言うと翡翠は顔を上げ笑った。 あの時も出てこようとしない蒼玉を、話し掛けながら待っていた。 怯えた蒼玉が、どれだけ心細い思いをしているか手に取るように解っていたから。 ───けど…………今は………… 「なぁ……蒼玉…………一緒に花火見ようよ…………オレ………………」 蒼玉が何を考え何を思っているのか、解らない。 昔はあんなに分かり合えていたのに。 ───蒼玉のことならなんだって…… 「お前と一緒じゃなきゃヤだよ…………隣に……いてよ…………」 鮮やかな花火が映った雫が、翡翠の頬を流れ落ちた。 場所は変わっても、祭りの夜はいつも蒼玉と共に花火を見上げていた。 夜空を飾る花が散り始めると、後を追うように大きな音が響き、その中に微かに鍵のあく音がして翡翠はそちらに顔を向けた。 「…………蒼玉……」 やっと部屋から出てきた蒼玉の泣き腫らした目が、昔と何も変わらない。 「……なに泣いてんだよ…………」 歯を食いしばり、涙を堪えようとしている姿に翡翠は手を伸ばした。 その顔が出会った時の事を思い出させた。 お互い親を殺され、琥珀に拾われた。少しばかり先に来ていた自分が手を差し出した時、その手を取るより先に、まだ小さかった蒼玉は涙を溢れさせた。 幾つもの大きな雫を頬に流しながら、そのくせ必死に涙を堪えようと歯を食いしばっていた、自分よりまだ小さな狼の子供。 伸ばされた翡翠の手を取ると、蒼玉は翡翠の横に膝をついた。 「……ごめん…なさい……」 濡れた翠色の瞳に繋いでいない方の蒼玉の指が触れた。 ───翡翠を……泣かせちゃった…… 「ごめんなさい……」 つまらない嫉妬で翡翠を困らせ、こんな試すような事をして……。 挙句、誰より大切な人を泣かせてしまった。 次の準備をしているのか、美しい光も壮大な音も、今は静寂の中に隠れ2人の周りを薄闇が包んだ。 「……俺………勝手にヤキモチ妬いて……翡翠を困らせて………翡翠の大好きな祭りまで……引き止めるような ことして………本当に……ごめんなさい……」 途切れ途切れの声が、涙と一緒に溢れ出した。 ただ翡翠の一番でいたかった。 しかしそれは無理な事なのだと、今の生活を始めて気付いてしまった。 生きていく中で変化が無いなどと言うことはあり得ない。それはこの世界だからでは無い。どこにいてもどんな生活をしていても、早さこそ違えど必ず皆変わっていく。 気付いていなかっただけで、自分も変わっていたのだ。翡翠に抱いていた想いの形すら変わっていた。 子供のままでいたいと願うのは、子供のままではいられないと知っているから───。 「別に…………困ってねぇし……」 困ったように笑いながら翡翠がポツリと吐いた。 「ただ…………隣にお前がいないのは……イヤだ」 「……翡翠…」 その瞬間、窓一面に鮮やかな美しい大輪が夜空を一気に染めた。 何も見えないと思える程くらい夜空を、一瞬で明るく、そして美しく照らしている。 それを映した見開かれた翡翠の瞳に蒼玉の視線が釘付けになった。 「すげーキレイ……」 翡翠の言葉に 「…うん」 蒼玉が頷く。 「お前、見てねぇじゃん」 呆れたように笑った翠色の瞳を、深く青い瞳が見つめた。 「見てるよ……翡翠の目に映ってる」 「……なんだよそれ……」 一瞬の沈黙の後、翡翠がまた呆れたように笑い 「けどじゃぁ……やっと一緒に見れたな…………花火……」 そう続けた、窓の外を見つめる表情が嬉しそうに変わった。 幾つも上がる花火が翡翠の瞳の中で遊ぶように現れては消え、消えてはまた現れる。 ───すごく…………キレイだ……。 握り合った手が不意に軽く引かれ、翡翠は窓を飾る花火から蒼玉へ視線を向けた。 突然のことで何が起こったのか理解らなかった。 ただ柔らかい温もりが唇に触れ、たった今まで花火を見ていた視界が遮られた。 そしてすぐ目の前に蒼玉がいる───。 しかしそれは一緒で、再び幾つもの花火が視界の中に戻り、身体を揺すぶるような音が、次々に響いた。 「………………お前……今……」 「キスしたいって思ったからしちゃった」 ちょっとしたイタズラをした時のように蒼玉が笑った。 その笑顔が余りにも当たり前で、翡翠はぼんやりとその笑顔を見つめた。
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