“患い事? ありません”

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“患い事? ありません”

 文学科の同窓と行った小旅行の土産を渡すと、予想以上に喜ばれた。温泉饅頭など珍しいものだろうか。湯と地場の料理の感想を頷きながら聞くさまを見、講義でもこうなのだろうかと想像する。……受講生そっちのけで話を進めている想像の方が容易かった。 「夏でも旅行客は多いのですね。随分と賑わっていました」 「あそこは有名だからな。良いねえ、ぼくも湯治に行きたいものだ。最近疲れが取れなくてね」 「……誘ったら行きますか」  軽さを装って告げる。心臓は早鐘のように鳴っていた。彼の顔からは、驚きが水滴のように落ちていく。 「誘ってくれるのかい。行くとも、時間の都合がつくかは分からないが。きみとならきっと楽しく過ごせるだろうねえ!」 「……はは。先生はお忙しいですからね。しかし私は門下ではありませんよ」 「構わないさ。実のところぼくは、きみを友人のように思っているんだ。気晴らしに一緒に出掛けるのも好い」 「なら、……ならば、念入りに下調べをしておきます」  私は先生に気付かれぬよう小さく拳を握った。指先が氷に触れたかのように冷えていた。  この答えを望んでいたじゃないかと自分に言い聞かせた。他人の代わりではない、唯一の立ち位置を得たかったのだと。友人と呼んでもらえるのは誇らしいことだろうと。  なのに、胸の中心からは重苦しいものがせり上がってくる。凍った感傷が言葉となって飛び出す前に、唾と共に飲み込んだ。
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