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すぐにベッドから飛び上がった。一気に鼓動が早くなり、呼吸も荒くなる。家の中を全速力で駆け抜け、友達が待つ玄関先へ飛び出した。
「はぁ……はぁ……和奏、何で……」
「これ、教室で明日奈のかばんから落ちたよ」
そう言った和奏の手には、使い古した私のボイスレコーダーが握られている。
目を疑った。急いで帰ろうとして、スクールバッグから落ちてしまったのだろうか──。しかも、あれはボタン一つで録音した声を再生できる。
最悪のシナリオが頭をよぎった。
「和奏まさか──!」
「──ごめん、どうしても気になって聴いちゃった。ナナセの声、明日奈だったんだね」
頭を抱えた。こんな形で友達に知られたくはなかった。友達とナナセ、この二つを両立するもっと良い方法があったはずなのに……それも全て崩れてしまった。
「今まで学校休んでたのも、ナナセで活動してたから?」
「うん……今まで黙っててごめん」
「ったく、本当に迷惑」
「……! そう、だよね。みんなに隠れてコソコソ歌って、学校も休んで、おまけに和奏にも冷たい態度を──」
「違う! そうじゃない!」
「……えっ?」
俯いてボソボソ喋る私に、和奏が突然大きな声を上げる。地面に向けていた目線を思わず上げた。
「もっと私達を頼ってよ! 相談してよ! 一人で何でもしようと思ってるのが迷惑だって言ってんの!」
「わ、和奏──?」
「明日奈がナナセかどうかなんてどうだっていい! 友達にさえ気ぃ遣って、あんな誹謗中傷の動画が出回っても強がって、久しぶりに学校来たと思ったら死んだような顔してて──。私も、他のみんなも! どれだけ心配してたか──!」
自分はなんて馬鹿だったんだろう。そう思うと、今度は自然と涙が溢れた。紅白出演が決まった時でさえ流れなかった、嬉し涙。
私はこんなことになる為に歌っていたんじゃない。ボロボロになりながらマイクを握って、歌うこと自体を楽しめていない今なんて──ナナセどころか明日奈にもなれていない。結局、誰にとっても良くない結末になってしまった。
私はもっと──私の為に歌いたい。目に見える大事な友達の為に歌いたい。そう思って、頬を伝う涙を拭う。
「じゃあ、和奏──お願いがあるんだけど」
「うん、何でも言って」
「カラオケ行こっ。友達みんな連れて」
「えっ?」
そのキョトンとした表情に、思わず笑みが零れてしまう。久しぶりに自然と笑った気がする。その瞬間に私は、元の普通の高校生に戻った。
「な、何言ってんの明日奈! さすがに正体バレるよ?」
「いいから! ほらっ早く行こ?」
「ちょ、ちょっと──!」
和奏の手を引いて、自分の思うがままに走り出す。友達の前で歌うことが大好きだった、あの頃に戻る為に──。
*
「明日奈ー! 超久しぶりじゃん! 会いたかったよー!」
「今まで何してたのよ! 今日はたくさん歌おうね!」
行きつけだったカラオケの一室に行くと、既に友達が会場をあたためてくれていた。和奏達が元々カラオケに行く予定だったおかげで、わざわざみんなを誘う必要はなかったみたい。
「みんな遅くなってごめん! 今日は私も歌っちゃうよ~!」
やっぱり私は、この笑顔達が好きだ。この人達の為に歌いたい。その思いだけが、私をここまで突き動かした。
コの字型のソファーに詰めて座り、リモコンを手に取る。その送信履歴を覗くと──既に今日の日付で"ナナセ"を歌った跡が何曲も残っていた。
この上なく嬉しかった。それだけでもう、思い残すことは何も無い。
「ありがとう、ナナセ──」
誰にも聞こえない声で呟いて、こっそりスマホを取り出す。
動画サイトのアカウントの設定画面。そこから"削除"の項目を辿り、[本当に削除しますか?]という問いに躊躇い無く[はい]を押した。ボイスレコーダーに残る歌声も、萌ちゃんの連絡先も、全て削除。
この世界からナナセという存在が、たった今消えた──。
「じゃあ次、明日奈の番ね!」
「あ、もう私? オッケー任せて!」
とうとう自分の出番が回ってくる。この最高のライブ会場でマイクを握った瞬間、改めて自分の中で何かが弾けた。
私があなたを消した理由。それは、純粋に音楽を楽しむ自分を取り戻す為。さぁ──覆面を脱ぎ捨てて、自分らしく歌おう。
「じゃあ私も、ナナセの曲歌いまーす!!」
ごめんねナナセ──。
覆面シンガーは、
今日で終わりにするね。
-完-
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