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目が覚めた。
私のアパートだ。
右手には、カッター。そして左手には。
象牙色のタオルと、魔法の時計のモデルにした古い懐中時計のチェーンが、キツく巻かれている。タオルにジワリと赤い染みが浮かんだ。
『許可する。戻せ』
時間が、戻った……⁈
スマホでなんとか、救急車を呼んだ。
入院中も、退院してからも、医者や看護師に無理を叱られながら、とにかく続きを書いた。
ヨメズヒラサカに今もあるだろう『女王陛下のネジ巻き職人』4巻。一刻も早く、あの坂から消さなければならない。
『アンタの本を帰らぬ覚悟で読んだ人、何人もいましたよ、よかったすね』
私の作品を楽しみにしていた人達を、これ以上地獄に堕とさないように。
私の生み出したキャラクター達にこれ以上、そんなことをさせない為に。
私を救った懐中時計は壊れてしまったらしく、ネジを巻いても動かなかった。
色々悩んだ結果、物理的に残る本にして出すことにした。久しぶりの同人誌だ。印刷所への入稿も、昔と色々違う。データ入稿⁈ へええ!
天啓のように、オールジャンル同人誌即売会の知らせを見る。応募した。
「うわああああ〜‼︎」
最初のお客様は、スペースの前で涙ぐんでしまった。泣きそうなのは私の方だ。嬉しい。
「あの、ずっと待ってました、4巻がこの世に顕現するのを、ずっと待ってましたぁあ〜‼︎」
少し大袈裟なその言葉に、私の涙腺も決壊した。
「お待たせして、本当に申し訳ありません……ありがとうございますぅ…! あ、あり…」
「あっ泣かないでくださいいい!」
お客様が去り、目元を拭いていたら、スペース前に人の気配がした。
「ご苦労」
「時計は返してもらうっす」
「⁈」
顔を上げたが、誰もいない。でも。
きっと、ヨメズヒラサカから私の本を消せたのだ。
「……ごめん。ありがとう……!」
懐中時計のネジを巻いてみる。今度はちゃんと動きだした。
(了)
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