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「ココに迷い込んだ者は、冥府の物語を読んで帰れなくなる。今の俺らは、亡者を釣るエサっす」
「……まさか、私の本も」
「もちろん、あそこに」
ステムが指差した先に、確かにあった。幻の『女王陛下のネジ巻き職人』4巻。
魔法の時計と命令の言霊だけ受け継いだ女王リューズと、何故か魔法の時計を動かせる謎の職人ステムの、何でもアリの冒険ファンタジーだ。私の好きを詰め込んだ。
「……うそ」
「嘘じゃないすよ。アンタ、書くのやめたじゃないすか。だからココに」
「……やめたワケじゃ……でも」
最初は、書けば売れた。
ずっと書きたかったファンタジー『女王陛下のネジ巻き職人』も、最初は喜ばれた。喜ばれたと思ってた。
2巻を出すと急に「こんな地味な続編じゃ出しても売れない」と編集に言われて一転、ひたすら直し続けた。
女王陛下も、ステムも、物語も、私の好きなものも、だんだん分からなくなった。
3巻で切られた。出版社も、なくなった。
3巻までの原稿を他の出版社に持ち込んだりもしたが、ダメだった。短編を応募したり、小さなコラムなどの仕事を受けていたが、じきにそれも書けなくなった。
そして。
「神様は逃げる場所が幾らでもあるでしょうが、俺らはアンタに見捨てられたら一巻の終わりっす。4巻すけど」
「だから見捨ててなんか……」
足が震えた。だんだんチカラが抜けていく。
「アンタの本を帰らぬ覚悟で読んだ人、何人もいましたよ。よかったすね」
「⁈」
「でも優しい陛下は、人を地獄に蹴落とす行為に苦しまれるように…なので」
ステムは、空いた片手で本棚からジョネジ4巻を出した。
本が、金の懐中時計とその鎖で縛られている。リューズ女王の許可が出た時だけステムが操れる、魔法の時計だ。
「許可をいただき、物語を止めたっす。自分は本の中に帰れないすが、陛下もファンも守れて、神様に恨み言も言えるなら、結果オーライす」
「……違う……私は、そんなつもりじゃ…でも…」
座り込んだ。ステムが掴む腕が痛い。淀んだ坂道に、涙がポタポタ落ちる。
「結末まで、頭の中にはあるの。大事に、大事に書きたかった……なのに、もうどうしたら……私、もう、書けない……」
「頭の中にあるなら、さっさと帰って本物の4巻書きゃいいでしょ。現世で本物の4巻が出れば、自分らはこの陰気な坂からオサラバできるし、偽物の4巻も消えてなくなるっす」
「でも…でも」
「でもでもばっかりすね」
ステムが片目を顰める。焦っている時の癖。何を焦ってるの?
私の手首に巻いたスカーフが、赤く染まっていく。腕が痛い。頭も痛い。
「今ならネットでも同人誌でも、形にする方法が幾らでもあるんだから」
「…あなた、ネット知ってる、の…?」
剣と魔法の世界なのに。笑いたくなったが、声が出なかった。世界が黒く染まっていく。
「ああこんちくしょう! 陛下!」
ステムが何か怒鳴っているが、よく聞こえない。
最後に聞こえたのは、凛とした女性の声。
「許可する。戻せ」
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