menu.1 憧れのだし巻き卵(1)

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ふと、出入り口のドアベルが鳴った。また客が入ってきたようだった。 イヤホンの隙間から、「あらカナタ、いらっしゃ~い」という応対の声が聞こえる。 (……こいつの声は本当にうるさいな……) この店員は、バーのオープニングスタッフの一人でもあった。男は以前からママとは友人関係でもあったから、当然店員のことも採用当初から知っている。 体育会系の体質が強い部活出身者だという話を聞いたとき、さもありなんと思ったのは記憶に新しい。 対して、入店してきた客はそれほど声量はやかましくはないようだった。 ……が、徐々にこちらに向ける意識が濃くなってきたような気がする。 男は舌打ちを押しとどめ、スマートフォンの音量を上げた。 その瞬間。こちらを狙っていた気配が右隣のスツールに座り込む。 男は視線が画面から話さずに、視界に入ってくる情報だけで相手を確認した。 おそらく童顔。そしてそれなり以上の美形。髪の色素は薄い。黒い上着はおそらくレザー系の素材。 反対側の視界に、店員が合掌して頭を下げているのが入った。どうやら何かやらかしてくれたらしい。 (……後で紫苑越しにクレームをつけてやる) 自分に首輪と手枷足枷をつけている奴に言わないだけマシと思え。そう男が内心吐き捨ててると、隣の青年が人好きのするような笑顔を浮かべてきた。 「ねえ、お兄さん。何してるの?」 うっすら聞こえたその声に、男はほんの少しだけ瞠目した。 そちらの方に反応しなかったのは、自分でもファインプレーだと思う。 (……そんなワケがあるか) イヤホンから流れくる動画の投稿主と、今、隣にいる青年。両者の声を比べるとかなり似通っている。そんな偶然があるわけがないと、男は切り捨てた。 男は無視する。すると青年が画面を覗き込んできた。視界に入り込んでくる。 アップにしている前髪に、さらりと流れるサイドの髪。ぱっちりとした目。どこか艶のある薄い唇。 その容貌は、今まさしく男のスマートフォンで再生されている動画の投稿主と似ていた。 「ねーえ、お兄さぁん」 媚びるような声を出してくる青年。男は一気に苛ついた。 (……この動画投稿主は、こんな風に媚びるような声なんて出さないし、こんなゲイバーにだって来ない。ましてや男相手に秋波を送ったりなんてしない! だからこいつは偽物だ!) まるで厄介ファンと揶揄されても仕方ないようなことを思いながら、男はとうとう舌打ちする。 関わりたくない。しかし無視していても追い払えない。仕方なしに男は動画をストップさせ、イヤホンを片方外す。 しかし視線は合わせない。人が唯一リラックス出来る時間を邪魔してくれた相手に、どうして普通に対応してやる必要があると、男は忌々しげに息を吐く。 「……何か?」 ウィスキーロックのグラスを傾けながら、彼は腹の底から不機嫌そうな声を出す。 (これで分かるだろう。今、俺は機嫌が悪い。貴様のせいでな……!) 通じているのかいないのか。青年は、はにかむような笑みを浮かべてきた。可愛らしく小首を傾げる仕草のおまけ付きだ。 「お兄さんがあんまり僕の好みだったから、思わず話しかけちゃったぁ。声も見た目と一緒で、とってもステキ。ねえ、一緒に飲んでいい?」 カウンターに両肘をつき、軽く目を緩ませながら微笑んでくる隣に居座ってきた相手。 面倒にも程がある。男はため息をついた。 イヤホンのもう片方を外し、スマートフォンに接続したまま内ポケットに収める。 視界の端で、青年が自分のスマートフォンに手を出そうとしていたのが見えてしまったのだ。 明らかに手慣れているそのやり口に、男の青年への心証は更に下がった。 男はママにウィスキーの2杯目を注文し、冷たく言う。 「話すことなどない」 「えぇ~?」 青年が少し体を寄せてきた。また、あの媚を売るような声音を出してくる。 「でもぉ、ココっていわゆるゲイバーじゃん? ってえコトはぁ……」 上目遣いの視線。明らかに色事への期待を含んだもの。 男はうんざりした。相手にされていないのは分かるだろうに、どうしてこうもしつこいのか、と。 「お兄さんも、相手を探しにココに来てるんじゃないの……?」 オーナーママがちらりと見てきた。 男は首を振る。まだ自分で対処できる範囲だと思った。 いよいよ我慢ならなくなったら、〝連中〟を呼んでしまえばいい。 「カナタ、今日の狼をロックオンしちゃった感じかぁ……? でもシュウはなぁ……」 「ああ……。哀れだねぇ……カナタが。なんまいだなんまいだ」 「歌舞伎町きっての高値の花に目をつけるなんざ、お目が高いのか、運が悪いのか、なぁ……」 常連客のサラリーマンの集団の呟きが聞こえてくる。 ただの野次馬か、それとも手助けか。……いいや、確実に前者だろう。 しかし、その内容に青年が首を傾げながら身を離したのは事実だ。 今度あのサラリーマンたちが来たら、「あそこのお客様からです」でもやってやろう、と男――シュウは決めた。 が、今は隣の煩わしいガキの対処だと、彼は思わずため息を漏らしていた。眉間の皺も深くなった気がする。 シュウは相手を見ずに告げる。
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