menu.1 憧れのだし巻き卵(1)

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「相手など求めていない。そもそも俺はそういう目的でここに来ているのではない」 「……は?」 間抜けな声が返ってきた。よほど、彼――カナタにとっては想定外のことだったのだろう。 「えっ、だって、お兄さんもこのバーにいるってコトは」 「ごめんなさいねぇ、カナタちゃ~ん」 不意にカウンターから声がする。 その声の持ち主は、オーナーママだった。どこか威圧感を孕んだ笑みを浮かべている。 どうやら青年は、彼……いや、の黙認限界を超えたらしい。 「こいつアタシのダチでねぇ。単にちょくちょく飲みに来るだけのよ~」 ママはシュウを指さしながら言う。 ジャケットの表胸ポケットから黒革のシガーケースをシュウは取り出す。一本吸わないとやっていられない。 「えっ、じゃあお兄さん、ノンケなの?」 どこまでもズケズケと……。シュウはそう思いながら、取り出したたばこにライターで火をつけた。 いつの間にかママが灰皿を出してくれていた。 紫煙を吸い、吐き出し、バツンッという勢いでたばこを弾き叩いて灰を落とす。 「何故、今ここで初めて遭遇したばかりの貴様に、個人的なことを教えねばならん」 すると、え、とカナタがあっけに取られた。 大方、飲みながら親睦を深め、あわよくばホテルでワンナイトラブ……。 彼はこのようなチャートを脳内で描いていたのだろう。うんうんと唸り始めた。 シュウは、ふん、と思わず鼻で笑っていた。 今更、このようなおめでたい思考は持てない。早々に、カナタから視聴途中の動画へと興味が移する。 タバコを灰皿に置き、再びスマートフォンを出してイヤホンを着ける。 空になったグラスを黙ってママに返しながら画面を点灯し、動画サイトのアプリを開く。 どうやらまだトップ画面に戻るだけの時間は経っていなかったらしく、一時停止したときのままだった。 早速一時停止ボタンをタップし、再生状態にする。すぐに動画投稿主の声が流れ込んできた。 (……ああ、やはり美味そうだ) 画面の中で繰り出される調理の数々。空腹は感じないのに、どこか胃が切ない気がする。 幸福感に浸っていたとき、それが荒々しく邪魔された。右側からカナタが画面を覗き込んできたのだ。 シュウは盛大に舌打ちした。 「おい、勝手に他人の」 「お兄さん、ひょっとしてその動画、『そーたのcookin'ちゃんねる』?」 (は?) 慌てて動画を止めた。もしや、もしやだが……。 (こいつは、そーたのファンか? なるほど、髪の色や髪型もそーたに憧れて真似をしているんだな。 ……そんなわけがあるか!) あまりにも動画投稿主【そーた】に彼が似ているからといって、現実逃避にしてはあまりに荒唐無稽なことを考えてしまった。 だが、そういう設定がちょうどいい。シュウはそのまま貫き通すことにした。 イヤホンを片方外しながら、彼はカナタをようやく視界に収める。面食らったような表情が返ってきた。 「……お前も、そーたのファンなのか」 「ん!?」 いや違う、と言いたげなカナタを遮り、口火を切る。 「俺は基本的に他人には興味がない。だが、そーたに関しては別だ。ここ数年、他人にほとんど興味関心を抱かなかったが、彼の動画と料理には盛大に心を動かされた」 そう、それは本当のことだった。 シュウが置かれている状況は、はっきり言ってしまえばとても通常の範囲内ではない。 そのため、彼の精神状態はそうなる以前とはうって変わったものになってしまっている。 しかし【そーた】の動画を見ると、その心がほんの少し癒やされるような気がするのだ。 ささくれだった心にも効く、『そーたのcookin'ちゃんねる』。今は無理だが、数年経てば万病にも効くようになるかもしれない。 そう思いながら、シュウは毎日動画を見ている。 「このそーたという投稿者が作る料理の数々は素晴らしいの一言に尽きる。この繊細な食材への心遣いから巧みな包丁捌き、火の通し加減の見極めや食器へのこだわり。すべてが素晴らしい……!」 「え、あの、」 「俺が感動したのは昨年遂行した《食材の収穫をするところからおせちを作ってみた》シリーズだな。まさか調味料以外のすべての食材、特に野菜は家庭菜園をレンタルするところから、魚介類は釣りに行くところから、肉類は食肉動物のオーナーになるところから始めるなど思ってもみなかった」 「あ、あの……」 どん! と、シュウのウィスキーおかわりとカナタが注文していた焼酎のグラスが、それぞれの眼前に、叩き込まれるように置かれた。 もちろん、その下手人はママだ。 「アンタねえ、オタク特有の早口でまくし立てるのやめてあげなさいよ、困惑してるじゃない。ごめんねぇカナタちゃん。こいつ普段は無愛想なくせに、推しのコトになると途端に早口になっちゃって~」 「あ、いえ……」 オタク語りキャンセル。それをいとも簡単にやってのけられ、シュウはむっつりと口を噤んだ。 シュウは、普段から溢れかえる尊敬の念を話せる機会がない。だからガキの撃退ついでに、この場で一発かましたのだ。そしてそれはまだ1割もかましきっていない。 それなのに止められ、不完全燃焼だ。舌打ちしながら、彼はスマートフォンを再び内ポケットにしまう。
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