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menu.6 出汁の香りは心ほぐしの香り(2)
「……修坊~。いい加減機嫌直しておくれよぉ~」
神谷が運転する助手席から振り返り、そう修一に話しかける中年の人物。
恰幅に伴う丸顔だが、その目つきは鋭い。
が、今は可愛い可愛い思春期の娘や姪に盛大に嫌われた男性の悲哀を、全身から漂わせている。
撫でつけている前髪も、覇気なくしょんぼりとしているようだった。
話しかけられた当人である修一は、尊大に脚を組み、ドアに頬杖を突いてひたすら車窓の風景を睨んでいる。男性の言葉は完全に無視だ。
朝食のとき、幸福に顔面をゆるゆるにさせていたとはとても思えない表情が、窓ガラスに反射している。
この異様な雰囲気に、運転している神谷も、修一の隣に座っている奏太も、身を竦ませていた。
諦めず修一に話しかけているこの男性。青木組に、新人時代からの相棒と可愛い可愛い甥にも等しい存在の未来をねじ曲げられた恨みを原動力に、青木剛の逮捕の機会を虎視眈々と狙っていた。そしてその機会をもたらした奏太を捜査に利用した人物、井上警視である。
二人はまるで、大蛇と睨まれたねずみのようだった。 神谷はため息をついた。
「……おやっさん。今の春川にはあなたは超ド級の地雷みたいなんで、しばらく黙っておいた方がいいですよ……」
すると、井上はしょんぼりと前に向き直った。 修一は、前部座席のそのやりとりを横目で見て鼻を鳴らした。
幸せなひとときだった朝食の席の途中、突如呼び鈴が鳴り、奏太が応対後部屋にやってきたのが神谷だった。
彼は朝から訊ねてきた非礼を詫びた後、今日の奏太の病院送迎と、その帰宅後に事情聴取をしたいと告げられた。
逮捕を知った青木組の鉄砲玉や、青木組に恨みを持つ別組織からの護衛も兼ねていると言われて、修一に否やはなかった。
奏太は大袈裟だと言ったが、修一は少しでも危険性を排除したかったため、神谷の言うことに乗っておくべきだ、と主張した。
その結果が、今のこの状況だ。
(……まさか、おじさんが着いてくるとは思っていなかった)
あからさまに機嫌の悪い舌打ちをつく。
斜め前の方から、ビクゥっという気配がした気がしたが無視をする。
修一はまだ、奏太を巻き込んだことを許すつもりはなかった。
ピリピリとした雰囲気のまま、覆面パトカーは昨夜の病院へと急ぐ。法令ギリギリの安全運転で。
**********
午前中いっぱいを検査に費やした結果、奏太の診断は打撲、内臓損傷見られず、という結果がついた。
(良かった……!)
修一はほっとした。検査の最中は神に祈るような気持ちで、ずっと気が気ではなかったのだ。
神谷に「顔色悪いぞ」と指摘される程には、血の気が引いていた。
ともかく、重体ではないことに全員安心はした。
だが、転々とついている青あざが完全に引くには2ヶ月ほどはかかるだろうと言われ、奏太が呻く。
「そうですかぁ~……」
「何か訊いておきたいことはありますか?」
天井を仰いだ奏太に、医師はそう告げる。
すると彼は至極真面目な顔をして訊ねた。
「いつセックスしても大丈夫になりますか?」
……医師と看護師、外来クラーク、そして付き添いの神谷と修一が凍り付いた。
(な、何を訊いてるんだ!! 他に訊くべきことはあるだろ!?)
それでも冷静だったのか医師がいち早く気を取り直す。わざとらしい咳払いをしてから答えた。
「……別に、今日からでも大丈夫ですけど、一応打撲が治ってからにした方がいいのでは? 痛いでしょうし……」
「あー、そうですよねぇ。分かりました、ありがとうございます」
そう締めくくった奏太に、二人は頭を抱えるしかなかった。
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