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menu.6 出汁の香りは心ほぐしの香り(3)
診療代と追加処方された湿布代を支払ったあと、四人は再び覆面パトカーに乗り込み、奏太のマンションに向かった。
その道中、紫苑とパートナーの身柄は無事だという話を神谷から聞かされ、修一は一つ胸を撫で下ろす。
彼女は【prism-Butterfly】の営業を続けることを選択した、と聞いたときはらしいな、と思った。
彼女は元々、自らの店を持つのが夢だったのだ。
他の歌舞伎町の面々から、青木のシマの一つと認識されてしまっている。その青木が逮捕された今、彼女に後ろ盾になりそうな人物はいない。それでも彼女は自らのパートナーと共に歩いていくのだろう。
早速、「クリーンなゲイバーのイメージに立て直すわよ!」と従業員一同を巻き込んで高笑いしているかもしれない。
その様子が目に見えるようで、忍び笑いを浮かべてしまう。
精神的に持ち直したかと見た神谷は、安心してハンドルを握った。
そうして無事に奏太のマンションについた一行は、彼の部屋で事情聴取に臨むことになった。
ダイニングのテーブルセットに、修一と奏太、神谷が向かい合う。
ちなみに井上はリビングのソファーに座ることになった。
可愛い可愛い甥っ子相当の存在に徹底的に無視されるのは、流石に堪えたらしい。
全員の位置が決まったところで、神谷がメモ用の手帳とボールペンをスーツの胸ポケットから出した。
「では春川さん。事情聴取を始めさせてください。お二人の聴取は対外的なものでしかないので、ご安心下さい」
刑事としての鋭さはあるものの、穏やかに話しかけてきた神谷。彼に修一と奏太は頭を下げた。
「まず、当日の大まかな行動を教えてもらえますか」
そう訊ねられ、修一はあの日の行動を思い出していく。
「……午前9時頃に起床、最低限の身支度を整えた後、……あの箱内で何をするでもなく窓から外を眺めていた。正午頃、奴の子飼い共が昼食らしきものを届けに来たのでそれを摂り、その後は奏太の動画チャンネルのアーカイブを1からずっと見直していた。18時の少し前に紫苑からの電話を受け店に呼び出されたので、開店時間に合わせて【prism-Butterfly】へ。あの部屋から店までは、俺の足で徒歩4、5分といったところか。ゆっくり歩けばもう少しかかると思う。20時頃に【prism-Butterfly】に着。それから……体感で数十分程、紫苑と話をしていた」
「紫苑さんからも伺っていますが、話の中身を改めて教えていただけます?」
「……俺が、紫苑にメールで依頼していたことについての顛末と、……奏太が奴と何かの契約をしたという話、一ヶ月前に奏太と初めて会った晩の勘ぐりを少々された」
「……嫌なことを訊くとは承知なんですがね、その勘ぐりとは?」
修一はここで眉間に皺を寄せる。黙秘するようなことでもないだろうが、自分を幼い頃から知っている相手と元同期である二人には、あまり聞かせたくもないことだった。
だが刑事として情報を多く得たいという彼らの気持ちも理解出来る。
少し逡巡した後、正直に答えることにした。
「……奏太がバイセクシャルだということは知っているか?」
「ええ、ご本人から聞いていますよ」
何でもないことかのように、さらりと答える神谷。
知っているのなら、少々濁してもまあ大丈夫かと修一は判断する。
「……俺が奏太に、性的に手を出されていやしないか、と」
「あっ、そういう……」
「……青木は、俺が誰かの目に留まることすた極端に嫌っていたからな……。のこのことついていった俺が言えた話ではないが」
「……そうですか」
「……続きだが、話の終わりかけの頃に奏太が【prism-Butterfly】に来て絡んできたので、奏太の身の危険を遠ざける意味もあって店を出た。あの店に俺がいるときは、俺をつけてきている青木の手の者が入店していたからな……。……まあ、奏太に追いかけられたんだが。三丁目との境あたりの交差点で追いつかれたが振り払った。その後、……恐らく御苑通りだと思うが南下して、目についたビルの外壁にもたれて休んでいた時に青木に捕まり、奴の管理しているあのビルの最上階に連れて行かれた。……そこ、で……、奏太が……」
そこで、修一の言葉が詰まった。
当然だろう。奏太の生死をネタに、修一の心を青木はズタズタに踏み潰そうとしたも同然だからだ。
継ぎ接ぎだらけのガラス板を、接着剤ごと粉砕しようとしていたのに等しい。
不意にあの光景が脳にフラッシュバックする。背を向けている青木が、パイプ椅子に拘束されている奏太に足を振り下ろす場面。
ヒュッ、と息が止まり、心臓がぎちぎちと、有刺鉄線に締め上げられているような気がする。
「大丈夫」
真横からかけられた確固とした声に、修一はハッとする。
じっと、強い瞳で奏太が修一を見つめていた。
「大丈夫」
今度は幾分か柔らかい声で、知らず知らずのうちにきつく服の胸部を握りしめていた修一の手を取り、柔らかく握る。
「ね?」
両手で包むように手を握られ、そこから伝わる温もり。
それが、修一の心を苛んでいた痛みをほどいていくような感覚になった。
強ばり震える体が徐々に落ち着いていくのを、神谷はつぶさに観察していくようだった。
詰めていた息を震えながら吐き出したところで、神谷が口を開く。
「言いづらいようなら結構です。犯人ならともかく、被害者の方の負担も考えずにお話訊かせてもらおうだなどと、こちらも考えていません。その状況ならば青木らの取り調べでいくらでも補完できます。それに、」
ここで、神谷の声のトーンが同期へのそれになる。
「おやっさんが、お前に嫌われた悲しみを糧にギッチギチに青木たちをシメ上げることは決まってるからな!」
ハッハッハ、と陽気に笑う神谷。それに呆気に取られる修一の二の腕を、奏太がぺちぺちと叩いてきた。
「だってさ、修一くん。おーぎさんやメガネさんは難しくても、せめて子分さんたちだけはギッッッッッッッチギチにシメてもらおうね!」
どことなく、タメ部分が妙に長かった気がしたが、それもまた、自分に向けてくれる情の深さの現れだと修一は思った。
「……そうだな」
頷いた声音も、やはりまだ硬さはあるが穏やかな響きを伴っていた。それにより、その場の雰囲気が少し和やかなものになる。
その雰囲気に乗じて、神谷が二、三ほど質問を繰り返し、修一はそれに答えていく。
その間も、奏太はずっと修一の手を握ったままだったが、それに修一が気づくことはなかった。
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