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menu.7 祝杯はXYZで(1)
昼食に続き、おやつ、夕食と平らげ、修一のメンタルは大分安定していた。
おやつはクレープ。まさかの実演付き。
タネをフライパンで薄く焼き、大皿の上で生クリームを絞り出し、カットしたバナナを盛り付け、湯煎で溶かしたチョコをスプーンで細く長く垂らし、両端を畳み巻く。
生地の小麦の風味と、クリームとバナナ、チョコレートの相性が抜群で、いくらでも食べられそうだった。
夕食は寄せ鍋だった。鰹ベースの出汁に醤油がメインで味付けされた鍋つゆに豚肉、豆腐、野菜と、隙のない構成だ。
(こんなに奏太の料理を満喫してしまって、もう一ファンとは言えなくなってしまったなぁ……)
取り皿に残ったスープを飲み干しながら、修一は思う。
こんなに奏太の料理を食べたなどとバレたら、過激派ファンに何をされるか分からない。
しかし目の前に出された料理を食べないという無作法は出来ない。
(うん、仕方ない。これは仕方ないことなんだ)
うん、と一人で頷く。
「修くん、シメ、うどんと餅と袋麺とどれにする~?」
パントリーを漁っていた奏太が訊いてきた。
迷わず修一は答える。
「袋麺」
「は~い」
小さくガタガタと物を取り出す音がする。
修一は改めて、この幸福を噛みしめた。
鰹節だけでなく肉と野菜の旨味が溶け出した濃厚なスープで煮た麺。これもまた最高だった。
残さず平らげ、夕飯の片付けも手伝い、一段落ついたところで修一は、リビングのソファーで解脱状態に陥っていた。
昼からずっと、心穏やかに過ごせたと思う。
少なくともこれまでの生活からは考えられないほどに。
(……薬、飲むの面倒だな……)
うとうとしかけていた体を叱咤し、なんとか立ち上がる。
紫苑が服と共に置いていった常備薬。
その正体は病院が処方した精神安定剤だ。
修一は未だ寛解したとは言いがたい。まだ薬は指示通りに飲んでくれと言われているのだ。
しかし、心も満腹になっている今、正直動くのが面倒くさい。
だが飲まないなら飲まないで、後がどうなるか分からない。
「……はぁ」
ため息をつき、修一は立ち上がる。キッチンに近づくと、土鍋を仕舞っていた奏太が気付いた。
「あれ? どしたの?」
修一は苦笑しながら、薬の錠剤シートをひらひらとさせた。
ああ……、と奏太はそれだけで察した。
**********
昼食後、紫苑が持って来てくれた服を二人がかりで確認していると、奏太が謎のポーチを見つけたのだ。
横30㎝もある、淡い花柄のマチ付きファスナーポーチ。
「何だろ、これ」
奏太が見せてきたそれに、修一はファストファッションのTシャツをブランド物から選りわけつつ言った。
「……開けても大丈夫だろう。奴の私物が混入している可能性はたいして高くないと思う」
「そっか。じゃあオープン~」
シャァ、という軽い音と共に開けてみると、その中には錠剤薬のシートが詰まっていた。
え、と奏太が一瞬面食らっている間に、修一も覗き込み、得心した。
「ああ」
ひょい、と修一は何ごともないようにポーチを手にとる。
「……これは精神安定剤だよ」
シートの一つを手にして裏返す。前回受診時に処方された薬と同じことを確認して、Tシャツを床に置き、シートから一粒取り出した。
「一時期に比べればかなり寛解してきたが、まだ薬を完全に絶てるほどよくはなっていないとの判断で、これと同じ薬が前回受診時に処方されている」
言いつつキッチンに行き、食器棚からコップを一つ取り出す。ウォーターサーバーから水を汲みながら、着いてきた奏太に続きを話す。
「だからまあ、一応飲んでおく。俺としては、昨夜と比べても大分調子がいいんだけどな。連中の息のかかった病院に勤務しているとはいえ、そこそこまともな部類の医師の判断だ。一応は従っておいてやるさ」
そこで一旦言葉を切る。一錠をたっぷりの水で飲み込み、コップをシンクに置く。
「いつか絶対、転院してやるつもりだがな」
スポンジを手に取ろうとしたが、先んじて奏太がそれを持っていた。
奏太は黙っていた。スポンジを濡らし、洗剤を付け、泡立てる。
コップを洗いながら、彼は言う。
「……それで、よくおーぎサンは修くんをアレコレしてたよね」
怒りとも呆れともとれない、堅い声音だった。
修一はハッと嗤い飛ばす。
「奴の考えなど読もうとするのもバカバカしい」
コップをすすいだ奏太は、苦笑しながらそっかぁ、という相づちを打った。
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