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menu.7 祝杯はXYZで(2)
配車アプリで呼んだタクシーに乗り、【prism-butterfly】に着いた二人。
奏太は普段とほぼ変わらない服装だったが、修一は黒のレザーライダースジャケットにファストファッションの長袖カットソー、ストレートジーンズに黒のスニーカーという服を選んだ。
元々修一の私服はこのような格好だったのだ。セミカジュアルスーツを着ていたのは、それしか着るものがなかったせいだ。
数着、このような服や靴が紛れていたのは、絶対に紫苑とパートナーの配慮があったと修一は思う。
店のドアの前で、修一は何度も深呼吸した。
やはり緊張するものはする。
(……奏太に何かあった場合、俺を盾にしてでも守らねば……)
嫌な緊張で、内臓がひっくり返りそうだった。そんな彼の背を、奏太がポンと叩く。
「大丈夫。俺がいるから」
ね、とふてぶてしく笑う彼に、修一は下手くそな笑みを返す。
「じゃ、行くよ」
言い、奏太がドアノブに手をかけ、開けた。
カランカラン、とドアベルが鳴る。
今日の店内BGMはピアノジャズだった。
「いらっしゃい」
オープニングメンバーだった従業員が、緊張した面持ちで迎えた。そのまま、奥の一番広いボックス席に案内する。その側には神谷と後輩が立っていた。
「……来たか」
「ああ……」
修一はちらりと奏太を見る。
神谷は苦笑し、ため息をついた。
「……本当に佐々木さんの肝はクジラサイズなんですかね」
そのぼやきに、奏太は笑う。
「いやいや、至って普通の人間サイズですよ」
「どうですかねえ」
神谷のその口ぶりは、奏太の自己申告を疑っているようにしか聞こえなかった。
言い得て妙だ、と修一は思う。
「若ぇの、そろそろこの老いぼれとも話しちゃあくれねえかい」
ボックス席から聞こえてきた声に、修一は身構える。
神谷と後輩が厳しい顔つきになった。
声の主に視線を向ける。
詰めれば四人座れそうな大きなソファーの真ん中に、自身よりも年下に見える老年男性をぴったり抱き寄せ座る、着物の老爺。
しかし、決して衰えたようには見えない。
『老兵老いてなお盛ん』の体現者にも見えるような覇気を、全身から漂わせている。
思わず、修一は奏太を背に庇った。
(……この爺さんが、青木組のフィクサーとも噂される、青木源十郎……)
修一は青木剛から、ピロートークがわりに数度ほど話を聞かされていた。
若い頃は幾度手傷を負っても、敵は残らず殺し尽くしていたとか、警察のマル暴を逆に手玉にとって陥れたとか。
組長を引退してからは、若い頃舎弟にしていた男の尻を追いかけ続けているとも、呆れたように言っていたが。
現役時代のやり口を聞いた身としては、そんな危険人物、奏太に近寄らせるわけにはいかない、と修一は気負った。のだが。
「わあ、青木さんから話には聞いてたけど、やっぱり奏太だったんだねえ」
「えっへへ、じいちゃん久しぶり~」
もう一人、青木老人ともう一人の向かいのソファーに座っている痩せ型の老人に、奏太はぴょんぴょんと近寄っていく。
「まっ、待て奏太!」
「大丈夫大丈夫、この人は正真正銘俺のじいちゃんだから。ねっ!」
奏太は親しげに、青木老人に抱き寄せられているもう一人の老人に話しかける。
修一は視線を移した。そしてぎょっとする。
(……目が、死んでいる……!)
完全に諦め切った目。そして無表情。修一のように病んでいるというわけではなさそうだが、この状況は心底ツラいと思っているような目をしていた。
「………………おう」
BGMにかき消されそうなほどの返事をした後、奏太に話しかけられた老人は水割りと思しき液体をぐいっと呷った。
それから、修一に目を移してきた。
「……すまねえナァ、若ェの。見苦しい場面を見せちまって」
「えっ、いや、いえ、」
修一は言葉に詰まった。
なんだこの状況は。
「まあ何だ、二人とも座ってくれや。落ち着いて話も出来ねえ」
青木老人がそう声をかける。
修一はそれでも警戒していたが、奏太があっさりと祖父の隣に座ってしまった。
「ほら修くん早く~」
修一は盛大なため息をついた。
「……奏太、お前は少し警戒心を養ったほうがいい……」
「ええ~。って言ってもねえ……」
奏太はそこでちらりと向かいに目を移す。
青木老人に抱き寄せられたまま、老愛人が彼の葉巻に火をつけていた。
「ちっちゃい頃からこの光景はたまーに見てたし」
「……なるほど。お前の恋愛観の根底はここにもあるのか……」
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