menu.1 憧れのだし巻き卵(2)

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ぱちん、とスイッチの入る音とともに、マンションの室内が明るく点灯する。LEDのシーリングライトがリビングダイニングを照らした光だ。 「さ、入って入ってー」 にこにこと案内するそーたに続き、シュウもリビングに足を踏み入れた。 「……失礼する」 歌舞伎町からタクシーで約1時間弱。着いたのは吉祥寺のとあるオートロック分譲マンションだった。電車の駅にも徒歩圏内、最上階の角部屋。なかなかの好条件の部屋ではなかろうか。 ぐるりとシュウは内部を見回す。 壁紙はベージュがかったホワイト、閉められているカーテンの色は淡いブラウン。おそらくベランダに続くのであろう窓の近くには鉢植えの観葉植物が置かれている。 リビングダイニングのリビング部分には、50インチの4Kテレビが壁掛けで備え付けられており、その前には3人掛けのソファーと一人掛けソファー2台でガラスのローテーブルを囲んでいる。 ダイニング部分には、6人掛けのダイニングテーブルが設置してある。ブラウンのウォールナットカラーのテーブルには何も置かれていないが、これは動画内での試食や実食をこのテーブルで行うため、無駄なものを廃しているのだろうとシュウは考えた。 ダイニングの奥は、動画のメインステージとなるキッチンだ。アイランドキッチンであり、リビングダイニングとの仕切にもなるカウンターの隅に、背の低い観葉植物のポット、チャンネル登録者数が一定数を超えた証である盾が置かれている。 カウンターの裏はシンクと調理台、コンロが並ぶ。調理台にはまな板と調味料が整列しており、コンロは三口のガスタイプだ。奥の一口にミルクパンが乗っている。 カウンターの反対方向は最新型のAI型冷蔵庫が置かれ、作り付けの壁面収納がある。ブラウンの扉は閉じられているが、収納の中には食器や乾物、調理家電がしまわれているのをシュウは動画で何度も目にしてきた。 視線を様々巡らせながらシュウは、あのそーたのキッチンをこの目にする事が出来ているのだという感動に浸っている。 そーたが、キッチンの電気をつけつつ声をかけてきた。 「その辺テキトーに座っててー。パソコンはいろいろデータが詰まってるから見ちゃイヤよん」 む、とシュウは眉間の皺を濃くさせた。そんなことをする輩はファンではない。 「プライバシーと動画データの侵害はしない。……まあ、この行動も一ファンの行動から大きく逸脱していることに代わりはないのだろうがな」 「いいんだって、俺のトモダチとして、ってことで。よっし、夜も遅くなってきたし軽めのメニューにしよっか」 シュウの懸念をそう笑い飛ばし、そーたは冷蔵庫を開け中を改める。 だが一秒も経たないうちに、淀みない手つきで食材やいくつかのタッパーを取り出していく。あらかじめ大方の献立を組み立てていたのだろうか。 流石だと思いながら、シュウはカウンターの側に立って調理を見守る。一秒でも長く、そーたの調理工程を目に焼き付けるためだ。 そーたはまず、両手の平大のタッパーからキュウリとなすの粕漬けを小皿に移した。あらかじめ一口サイズに切られていたそれらを、小皿に丁寧に並べていく。 それが終わると、にんじん入りのきんぴらゴボウを小鉢にふんわりと盛った。 ここでタッパーの役目は終わり、冷蔵庫に戻っていく。小鉢と小皿はカウンター上に一旦退避。そーたは電気ケトルに水を入れ始めた。 (……少しは手伝うべきだろうか。……どう思う? ボーナスタイムのクソ神) シュウはそう心中で語りかけてみる。 (好きにしたらいいのでは?) 帰ってきたのはシュウ自身の心の声だった。 ならば、とシュウはカウンターから小鉢と小皿をダイニングテーブルに移す。ご相伴に預かるのだから、という気持ちもあるのだ。 「ありがと」 そーたはケトルのスイッチを入れながら、笑って礼を言ってきた。シュウは緩く顔を横に振る。気にするな、というつもりだった。 それを確認しつつ、そーたは次にコンロに乗せておいた四角フライパンを中火で暖め始める。 冷蔵庫から取り出していた3つの卵を中サイズの注ぎ口付きボウルに割る。菜箸で数度ほぐしてから、白だし適量と砂糖小さじ二杯ほど投入。白身がよく切れるまで溶きほぐす。 ほどよい卵液になったところで、シュウは思わず身を乗り出していた。どうやったら、このようにつやりとした鮮やかな黄色の卵液になるのだろう。 そーたの動画チャンネルでも卵焼きの焼き方がショート動画として出ているが、シュウは自分でこう出来るビジョンがどうしても浮かばない。 きっとそーたの手が特別なのだろう、とそのショート動画を見る度に毎回思っている。 そんなことをシュウが思っている間に、そーたは適温に暖まったフライパンにキッチンペーパーを往復させていた。 「知っているぞ、キッチンペーパーに食用油を染みこませて拭くように油をのばしているんだろう!」 思わず口に出してしまった。自分で思ったよりも声が弾んでいたらしく、そーたがフライパンから顔を上げて苦笑のような笑みを浮かべていた。 「正解~。随分嬉しそうだね」 「当然だ、何回も何回も見た動画と同じ光景が目の前にあるんだぞ!」 言いながら、シュウは感嘆の吐息を漏らしていた。 チャンネルにアップされている全ての動画を最低3周して繰り返し何度も見たが、やはりその目で直接見るのは大違いだと実感する。 実物という立体物、コンロから発せられる熱、食材の匂い、それらを五感で感じられるのだ。素晴らしい体験をしていると心が躍るのも仕方ない。 「これからだよ~」
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